王太子
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なお、同報告書は、安倍晋三政権下の2007年(平成19年)に白紙撤回されている[注釈 8]

一方、孝謙天皇(阿部内親王)の立太子に前後に生起した政情不安定の遠因は、前例があり律令で認められた「女性天皇(女帝)」ではなく、前例に反した「女性皇太子」の強引な出現による政治均衡の崩壊にあると考えられている[27]。奈良朝政治史研究者の大友裕二は、この歴史的事実を踏まえ、現代皇室についても「(引用註:前例の)範囲を超えないように改善していく必要があるのではなかろうか」としている[27]
法的推定相続人詳細は「王位継承#最先順位の継承権者と称号」および「推定相続人」を参照

推定相続人(すいていそうぞくにん)は、君主位や爵位の継承において、「現在は継承権第1位であるが、将来自分より上位の継承権を持つ人物が生まれる可能性がある人物」をいう。典型的な例として、長子相続制における子のいない君主の弟・妹や、男子優先長子相続制における息子がいない君主の長女がある。

法定推定相続人(ほうていすいていそうぞくにん)は、「君主位や爵位の継承において、将来自分より上位の継承権を持つ人物が生まれる可能性がない継承権第一位の人物」をいう。典型的な例として、長男相続制および男子優先長子相続制における長男や、長子相続制における第一子がある。継承権第一位が確定しているという点では皇太子(王太子)と共通するが、「法定推定相続人」という単語は称号ではなくあくまで系図学的な用語であるため、本人への呼びかけなどとしては用いられない。
日本の皇太子
現在の定義
皇室典範第8条
皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。
現在の皇太子

2019年令和元年)5月1日に第126代天皇として即位した今上天皇(徳仁)には、皇子(皇男子)がいない。また皇嗣たる秋篠宮文仁親王も今上天皇の弟、すなわち皇弟であり、「皇嗣たる“皇子”」ではない。

そのため、秩父宮雍仁親王以来[注釈 9]86年ぶりに、また現行の皇室典範下では初めて、皇太子は空位になった[28]
概要

日本
皇太子
皇太子旗
在位中の皇太子
空位
2019年(令和元年)5月1日より
詳細
宮殿東宮御所
東京都港区元赤坂赤坂御用地
ウェブサイト宮内庁
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称号:皇太子


敬称殿下
His Imperial Highness the Crown Prince
黄丹袍を着用した皇太子徳仁親王(当時)
1990年(平成2年)11月12日、即位礼正殿の儀にて

1889年(明治22年)、皇室の家内法として旧皇室典範が定められ、皇位継承順序が明文化された。この旧皇室典範15条では、「儲嗣タル皇子」を「皇太子」としていた。

1947年昭和22年)に法律として定められた現行の皇室典範第8条前段では、「皇嗣たる皇子」が「皇太子」とされている。「儲嗣(ちょし)」もしくは「皇嗣(こうし)」は、いずれも皇位継承順第一位の者を指し、「皇子」とはこの場合、当代天皇の子で男子を指す。皇位継承順序の変更は、「皇嗣精神若ハ身体ノ不治ノ重患アリ又ハ重大ノ事故アルトキ」(旧典範9条)、「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるとき」(現典範3条)のみに皇室会議の議(旧典範下では皇族会議の議および枢密顧問への諮詢)により許されている。

成年の皇太子は、摂政就任順の第1位でもあり、1921年(大正10年)11月以降、1926年(大正15年)の大正天皇崩御まで当時の皇太子裕仁親王が摂政に就任した例がある。

「皇太孫」は皇太子不在の際の「儲嗣タル皇孫」(旧典範15条)、「皇嗣たる皇孫」(現典範8条後段)を言う。「儲嗣」もしくは「皇嗣」は、いずれも皇位継承順第1位を指し、「皇孫」とはこの場合、在位中の天皇の孫を指す。

皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃及び内廷にあるその他の皇族の日常の費用その他内廷諸費には内廷費が充てられる(皇室経済法第4条)。法律により定額が定められ、平成31年度・令和元年度(2019年度)一般会計予算における定額は3億2,400万円である[29]

皇太子に関する事務には宮内庁の内部部局の東宮職が置かれる(宮内庁法第六条)。東宮職は一般事務だけでなく皇太子、皇太子妃、さらにはその独立の生計を営んでいない未婚の子女の家政をおこなっている。職員は約50名ほど。料理人や運転手などの管理部の職員もあわせると60数名[30]

皇太子・皇太子妃は、天皇・皇后とは異なり原則的には団体の名誉総裁には着任しない。ただし、日本赤十字社の名誉副総裁などには着任する。なお、皇太子と皇太孫は皇族の身分を離れることができない(この規定は天皇の退位等に関する皇室典範特例法第5条の定めにより、今上天皇の皇嗣である秋篠宮文仁親王にも及ぶため、文仁親王についても、皇族の身分を離れることができない。)。

古代から、東宮(とうぐう・みこのみや)、春宮(しゅんぐう・はるのみや)、青宮(せいぐう・あおきみや)、日嗣の御子(ひつぎのみこ)、儲宮・儲君(ちょっきゅう・もうけのきみ)、儲王(ちょおう)、帝儲、皇儲、皇継、または元子、太子などと呼ばれてきた。
現代における公務・活動

儀式・行事[31]

歳旦祭の儀

新年祝賀の儀

新年一般参賀

元始祭の儀

昭和天皇祭皇霊殿の儀

昭和天皇祭御神楽の儀

講書始の儀

歌会始の儀

孝明天皇例祭の儀

祈年祭の儀

春季皇霊祭の儀

神殿祭の儀

神武天皇祭皇霊殿の儀

皇霊殿御神楽の儀

秋季皇霊祭の儀・秋季神殿祭の儀

新嘗祭神嘉殿の儀

天長祭の儀

大正天皇例祭の儀


臨席(開会式・研究センター・サミット)

青少年読書感想文全国コンクール表彰式及び同パーティー

八大行啓

国民体育大会冬季大会開会式

献血運動推進全国大会

全国“みどりの愛護”のつどい

全国高等学校総合体育大会

全国農業青年交換大会

全国障害者スポーツ大会

全国育樹祭

国民文化祭




賢所御神楽の儀

国賓・公賓等外国からの賓客の訪日の歓迎行事・宮中午餐・宮中晩餐等

会釈(勤労奉仕団・人事異動者)

園遊会

接見

事務総長

外国へ赴任する日本大使夫妻

離任の駐日大使夫妻始め内外の要人

外国から来日中の研修団

国内の青少年の代表団

受賞者


ご覧・鑑賞(記念展・演奏会・美術館)

聴取・午餐・晩餐・茶会・昼食(総務大臣・各国首脳夫妻・国務大臣・知事・等)

講義(大学授業)

外国訪問(国際親善・結婚式・即位式・戴冠式・葬儀等)

視察・行啓(地方事情・企業・博物館・研究所)

国事行為臨時代行

進講

研究活動

歴史

「皇太子」の語や概念がいつ成立したのか、また最初の皇太子が誰であるか等については議論がある。なお、『日本書紀』に最初に「太子」「皇太子」の語が登場するのは巻第三の神武天皇紀である。
研究史「最初の皇太子」の説がある厩戸皇子聖徳太子二王子像

江戸時代国学本居宣長は、『古事記』中景行天皇に関する「三王負太子之名」の記述について、自著『古事記伝』で、中国の皇太子と異なり、日本の「日嗣御子」(ひつぎのみこ)が一人に限定されなかったことを強調している[32]


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