ジョン・ヒューストンは1950年代から、クラーク・ゲーブルとハンフリー・ボガートを主演に本作の映画化を計画していた[4]。しかし、映画化の権利を取得する前の1957年にボガートが死去し、ゲーブルも1960年に死去してしまう。その後、主演はバート・ランカスターとカーク・ダグラス、リチャード・バートンとピーター・オトゥールにそれぞれ変更された。1970年代に入ると、主演はロバート・レッドフォードとポール・ニューマンが検討されたが、ニューマンは「主演は英国人俳優が演じなければならない」とヒューストンに助言し、ショーン・コネリーとマイケル・ケインを推薦した[5]。
ロクサネ役は、ロアルド・ダールとパトリシア・ニールの娘テッサ・ダール
(英語版)が予定されており、彼女はオファーを快諾して減量や歯の矯正を行い役作りを進めた[6][7]。しかし、ヒューストンはよりアラブ的な女性を求め、「私たちはどこかでアラブの姫を探さなければいけない」とケインとの会食時に語っている。その会食には、ケインの妻シャキーラ・ケイン(英語版)が同席しており、彼女はガイアナ出身だったため、ヒューストンは彼女を説得してロクサネ役に起用した[8]。撮影はパインウッド・スタジオとフランス・モロッコで行われた[9][10]。『ニューヨーク・マガジン』のジョン・シモンは「ジョン・ヒューストンにとって、『アフリカの女王』を超える最高の作品」と絶賛した[10]。タイム誌のジェイ・コックスは「ジョン・ヒューストンは20年以上映画化を望んでいましたが、待つだけの価値はありました」と批評している[11]。ロジャー・イーバートは四つ星満点を与え、「『王になろうとした男』は、ひどくスリリングで楽しいエンターテインメントのため、時間を忘れてしまいます」と批評した[12]。
『バラエティ』誌はケインの演技について、「それがジョン・ヒューストンの意図であろうとなかろうと、この冒険とアクションの映画はマイケル・ケインの低い演技力のために大雑把なコメディになっている」と批評している[13]。