玄田哲章
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卒業後、新劇の道に進もうと文学座劇団雲のオーディションを受けたが、両方とも落選[15]。悩んでいたところに、演劇雑誌『テアトロ』で見つけた[17]野沢那智主宰の劇団薔薇座の募集を目にしに1970年に入団した[18]。初舞台は『王女メディア』[4]。当初は1年だけのつもりだったが、結局は17年間もの長期に渡って在籍した[15]

1972年[18]、24歳のときに野沢から「そろそろお前もやらないか?」と薦められ、声優業を始める。ディレクターの斯波重治[5]の紹介で、テレビアニメ科学忍者隊ガッチャマン』のアフレコ現場を見学[13][19][20]。同作で多数の端役を担当し、以降は声優としてさまざまな作品をこなすようになった。声優業を始めた当時を「当日に台本を渡され台本の見方も分からないままスタジオに入れられ、喋り出しても画面に合わなくて悔しい思いをした」と振り返っている[15]

2010年に第4回声優アワード功労賞を受賞した[21]
特色

声種バリトン[5][22]。独特の太い低音の声質の持ち主である[7][21]。声優、ナレーターとしては、アニメ、テレビ番組などで活躍している[8]

日本のアニメではコミカルな役からシリアスな役まで幅広く演じこなしている[7]

多数の洋画作品で吹き替えを担当しており、アーノルド・シュワルツェネッガーのような鍛え抜かれた体を持つ俳優の吹き替えを多く担当している[23]。かつてはシルヴェスター・スタローンスティーヴン・セガールの吹き替えも多く担当していたが、2000年代前半を境に棲み分けされるようになり、スタローンはささきいさおが、セガールは大塚明夫がそれぞれ担当するようになった。ただし、セガールの吹き替えは『ICHIGEKI 一撃』(2004年)で担当したほか、スタローンの吹き替えについては『バックトレース』(2019年)、『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』(2021年)のように、2019年以降はささきと分け合う形で担当しており、再び持ち役となりつつある傾向にある。スタローンの吹き替えに関しては1980 - 1990年代初頭までは、シュワルツェネッガーよりも当てている数は多く、テレビ放送版の吹き替えが製作・放映されていたころには、『ロックアップ』や『ジャッジ・ドレッド』のように、テレビ放送版とソフト版の両方でスタローンの吹替を玄田が担当した作品もある(2013年に発売された『ジャッジ・ドレッド』のブルーレイには日本語吹替音声は収録されていない)ほか、ホームビデオ作品である『アメリカンそっくりシアター ハリーの爆笑捜査線!』ではスタローンおよびランボーのパロディキャラを玄田が演じている。また、これらのほかにサミュエル・L・ジャクソンローレンス・フィッシュバーンダン・エイクロイドジョン・キャンディジョン・グッドマンジェラール・ドパルデューの吹き替えを担当することも多い。
アーノルド・シュワルツェネッガーとの関わり

アーノルド・シュワルツェネッガーから「私の声を100年演じて欲しい」と名実ともに永久専属声優として公認されている[24]

カリフォルニア州が制作した日本向けの観光広報ビデオ『 ⇒カリフォルニア州観光局 なんでもアリフォルニア カリフォルニア』に出演した州知事・シュワルツェネッガーの声を担当する際、正式に本人からフィックスとして公認された[注 3]

2015年に公開された映画『ターミネーター:新起動/ジェニシス』のジャパンプレミアにシュワルツェネッガーが出席し、その舞台上で玄田はシュワルツェネッガーとの対面を果たした。玄田は「30年間、あなたの作品をすべて吹き替えてきました。初めてお会いできてうれしい。今日は最高の1日です。グレート!」と述べた。その際、玄田はシュワルツェネッガーに対して、「どのようにしてその体を維持しているのか?」と尋ね、それに対してシュワルツェネッガーは「毎日トレーニングを欠かさないことだね。朝起きて1時間、夜寝る前に1時間。中毒みたいなものだよ」「あなたも、ぜひ体を絞ってみては?」と答えた。そして、シュワルツェネッガーから「世界中で私の吹替をどんな方が演じているのか、ずっと気になっていました。初めて日本の吹き替え声優の玄田さんとお会いできて光栄です。私の声を100年間演じてほしい!」と言われ、2人は握手を交わした[24]

玄田はシュワルツェネッガーが主演した多くの映画作品(※初期の担当声優である屋良有作が吹き替えた1970年の『アーノルド・シュワルツェネッガーのSF超人ヘラクレス』と1985年の『レッドソニア』は除く)でシュワルツェネッガーの声を吹き替えており[26]、『ターミネーター4』の公開時にはインタビューを受けており[26]、深い関わりを持つ。玄田本人は「長年担当していたため次にどう動くかが分かる」と語っている。また年齢でいえば玄田はシュワルツェネッガーの1つ違い(玄田が一歳下)で「同世代としてガンバろうっていう、勇気を与えてくれた存在。一言で言うなら、同志」と語っている[26]。シュワルツェネッガー自身から「私の声を100年間演じてほしい」と言われたことについて、玄田は「最高の褒め言葉です。まさに身が引き締まる気持ち。私もできる限り、シュワに応えていきたい!」と述べた[24]。なお、ジャパンプレミアでシュワルツェネッガーと対面した際、当初は玄田はナレーターとして呼ばれていたのみで対面する予定は全くなかったが、本番10分前にシュワルツェネッガー本人が玄田に「直接会いたい」と申し出たことで実現したと語っている[27]。玄田に先行してシュワルツェネッガーの代表作の多くを吹き替えた屋良も、玄田が担当した作品を観た際には「シュワルツェネッガーは玄田さんだと思った」と語っており、シュワルツェネッガーのフィックスとして残った玄田に対しては敬意を表している[28][29]

シュワルツェネッガーの吹き替えを初めて担当したのは『コナン・ザ・グレート』であるが[14][25]、その後に担当した『コマンドー』の方が反響が大きかったという[30]。『コマンドー』は、TBSの『ザ・ロードショー』での1987年の初回放映時には屋良有作がシュワルツェネッガーの吹き替えを担当し、のちに『日曜洋画劇場』で放送された際には玄田が担当した。2013年に発売された『コマンドー 日本語吹替完全版』のブルーレイディスクには、この2つの吹き替え音源が収録されている[31]。さらに、『吹替の帝王』レーベル第8弾として、『日曜洋画劇場』で平田勝茂が翻訳したものを基盤に日本語吹替版が新たに制作され、『製作30周年記念日本語吹替新録版』と題したブルーレイディスクが2015年に発売された。このディスクには、『ザ・ロードショー』での吹替(屋良)、『日曜洋画劇場』での吹替、新録版(共に玄田)の吹替の計3つが収録されている。


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