猪苗代湖
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縄文時代中期から後期にかけては、現在よりも湖の水位が低かったと考えられ、湖北部の沖においてこの時期の土器などの出土が見られる[20]

山ア新太郎博士(当時北見工業大学)らの調査によると、約2万年前に湖底で巨大な地すべりが起きた痕跡があり、津波が起きた可能性が高いという[21]
自然

気候は日本海型気候に属する[5]。冬には、強い季節風に吹き上げられた水しぶきが木などに付着して、そのまま凍り付いてできる「しぶき氷」が有名である。

猪苗代湖湖岸はアカマツが多いが、コナラシナノキが混じる場所もある[5]

湖水の酸性が強かった頃は水生生物の数が少なかったが、コイフナウグイウナギなどの放流と漁獲がある[5]。かつて流入または卵の放流をしても孵化できなかったワカサギが増えており、猪苗代・秋元非出資漁業協同組合はワカサギの卵の放流再開を検討している[11]
天然記念物

「猪苗代湖のミズスギゴケ群落」「猪苗代湖のハクチョウおよびその渡来地」が国の天然記念物に指定されている。
主な浜

上戸浜

志田浜

白鳥浜

長浜

天神浜

中田浜

崎川浜

秋山浜

小石ヶ浜

伝説

弘法大師がこの地を通りかかった際、機を織っていた女に水を乞うが断られてしまう。そこで別の村で米をといでいた翁という名前の貧しい女にのとぎ水を乞うと、快く飲ませてもらえた。その翌日、磐梯山が噴火して周囲の52の村が陥没して湖底に沈んでしまったが、弘法大師に水を飲ませた翁の家だけは湖底に沈まず、島となった。これが翁島だという伝説が会津地方に伝わる。
利用
湖上交通と疏水

江戸時代、猪苗代湖では湖上における交通の発達がみられた。この湖上交通は廻米などに用いられた[14]。また、同時に周辺地域における農業用水の供給源としても用いられており、戸ノ口堰、布藤堰などが存在していた[14]

その後、明治時代にはそれまでの地域のみならず、降水量が不足する郡山市周辺の安積原野に飲料用水や農業用水を供給するために、1882年に安積疏水が、1977年に新安積疏水が整備された[14]。この疎水は湖の東側より取水し、分水嶺の山をトンネルによって越えるものであった。近代日本を代表する重要な疏水事業によって、安積原野は日本有数の米の生産地に変わった。用水は最終的に阿武隈川水系に回収される。安定した供給量を確保するため、湖の西側にある流出河川の日橋川十六橋水門を設け湖水面の高さ調整を行っている。現在では、猪苗代湖の水はこの安積疏水によって主に湖東側の郡山市の農業用水などとして用いられる一方、湖西側の会津若松市においても飲料水などとしても用いられている[12]。加えて、日橋川や安積疏水には複数の水力発電所が設けられており、これらの発電用水としても用いられている[12]。その他、国の地方港湾である翁島港[22]湖南港[23]があり、主に観光港として機能している。
湖水を利用した発電所

第二次世界大戦前と戦後まもなく、日本の電力需要のほとんどは水力発電で賄われており、猪苗代湖の湖水を利用した発電所群で生み出される電力は、長らく関東地方の経済、産業の基盤を支えた。満水時の発電量は、関東地方全域はもちろんのこと(実際に行われたかは別として)九州地方にまで送電できるとされ「電気の湖」と呼ばれた[24]。1951年秋に渇水となった際には関東地方が輪番停電、緊急停電に追い込まれたため、猪苗代湖の水位は注目の的となり、わずかな降水量でも新聞記事になった[25]

日橋川水系

猪苗代第一発電所 - 1914年完成。完成当時世界第3位、東洋一の出力を誇った。2016年に日本遺産に指定。

猪苗代第二発電所

猪苗代第三発電所

猪苗代第四発電所

日橋川発電所

金川発電所


戸ノ口堰水系

戸ノ口堰第一発電所

戸ノ口堰第二発電所

戸ノ口堰第三発電所


安積疏水

河川法による規制

福島県の条例に基づき遊泳区域で航行した場合のみ罰則の対象となっていたが、2020年(令和2年)9月にプレジャーボートに巻き込まれて遊泳客3人が死傷する事故が発生した[26]。そのため規制が強化され、2024年から河川法に基づく航行区域と航行禁止区域が新設されることになった[26]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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