しかし、基礎体力のなさからプロの練習についていけず、ひじ痛もあって2000年はファームで1試合のみ、2001年も一軍登板はなく、球団から戦力外通告を受けて2年で退団。当時23歳とまだ若く、周囲からは現役を続けることも勧められていたが、「これで野球をしなくていいんだ」と現役引退を選択した[2]。
退団してからは熊谷市のバッティングセンターに勤務。そのバッティングセンターを利用していた小学6年生から「地元に中学硬式チームが無い」と相談を受けたことで、2003年、猪爪自ら中学硬式野球チーム「熊谷リトルシニア」を立ち上げる[2]。以降、同チームの監督を務め、2020年現在は総監督としてチームに携わっている[3]。ほかには「侍バッティングセンター深谷」の店長を務め、そこでも少年野球指導を行っている[4]。
詳細情報
年度別投手成績
一軍公式戦出場なし
背番号
52 (2000年 - 2001年)[5]
脚注^ a b c d 久保田龍雄 (2020年12月19日). “草野球からプロ入りも…「その経歴でなぜ?」とざわついた過去のドラフト指名”. AERA dot. (アエラドット): p. 1. https://dot.asahi.com/articles/-/79808?page=1 2020年12月22日閲覧。
^ a b c d 高木遊「フリーターからプロ野球選手になった男。失敗を経て気づいた「野球が好き」の大切さ」ヤフーニュース、2020年12月18日配信。
^ ⇒指導者・審判部 熊谷リトルシニア、2020年12月18日閲覧。
^ “ ⇒ベースボールスクール”. 侍バッティングセンター 深谷. 2020年12月22日閲覧。
^ 背番号の歴史 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト、2020年12月18日閲覧。
関連項目
埼玉西武ライオンズの選手一覧
埼玉県出身の人物一覧
表
話
編
歴
西武ライオンズ - 1999年ドラフト指名選手
指名選手
1位:高山久
2位:眞山龍
3位:大島裕行
4位:猪爪義治
5位:貝塚政秀
6位:青木勇人
7位:後藤光貴