ランキング
2000年 「コメディ映画ベスト100」(AFI発表)第37位
2008年 「史上最高の映画100本」(仏『カイエ・デュ・シネマ』誌発表)第24位[23]
2017年 「史上最高のコメディ映画トップ100」(英BBC発表)第16位[24]
2018年 「史上最高のコメディー映画ベスト100」(米『ペースト』発表)22位[25]
2022年 「史上最高のコメディー映画ベスト100」(英『タイムアウト』誌発表)第77位[26]
以下は日本でのランキング
1960年 第34回「キネマ旬報ベストテン・外国映画」(キネマ旬報発表)第1位[19]
1988年 「大アンケートによる洋画ベスト150」(文藝春秋発表)第24位
1995年 「オールタイムベストテン・世界映画編」(キネマ旬報発表)第18位
1999年 「映画人が選ぶオールタイムベスト・外国映画編(キネ旬創刊80周年記念)」(キネ旬発表)第28位
その他、個人によるランキングでは、映画監督のジャン=リュック・ゴダールが1963年に、最も好きなアメリカ映画ベスト10の第2位に本作をランキングしている[27]。 チャップリンの友人コンラッド・ベルコヴィチ
盗作訴訟
前作『モダン・タイムス』はドイツの映画会社トビス社から訴訟を起こされた(1937年と1947年の計2回)。チャップリンサイドは、『モダン・タイムス』への訴訟(2回目)を、『独裁者』への報復であるとみている[31]。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
チャップリンとヒトラー
出典検索?: "独裁者" 映画
チャップリンによるヒトラーのパロディー描写ヒトラー(1939年)「アドルフ・ヒトラーの死」も参照
チャップリンとヒトラーとの間にはいくつかの共通点があり、チャップリンは1889年4月16日生まれなのに対し、ヒトラーは1889年4月20日とわずかに4日違いである。またトレードマークが口ひげであり、チャップリン自身ヒトラーの口ひげは自分のオリジナルキャラのチャーリーを下品にしたようだというイメージを持っていた。
また、チャップリンはロンドンの貧しい家に生まれ、生活に苦労し、ヒトラーは生まれた家は中産階級で豊かだったものの青年期において公共独身者合宿所で生活しているということ(これについては近年[いつ?]『我が闘争』でヒトラーが誇張したものであって、実際の施設である公共独身者合宿所は必要最低限の生活ができる施設であったという説が有力である)、また両人に一時ユダヤ人説が流れていたことで共通項が多いと見る向きもある。[誰によって?]
また、ヒトラーは政治キャリアの初期においてすでに、映画界におけるチャップリンの人気に目をつけていたとする意見もある。“チャーリー”のキャラクターとヒトラーの類似はたびたび語られるところである。つまり、自らの知名度を上げるために、チャップリンと同じ四角い口ひげを生やしていた、というのである。[誰によって?]
チャップリンは本作の役作りのためにヒトラーのニュース映像を取り寄せて、繰り返し鑑賞した。長男のチャールズ・チャップリン・ジュニアの回想によると、チャップリンはヒトラーのポーズを詳細に研究し、ヒトラーについて「やつは役者だよ。俺なんかとうてい及びもつかんよ」と感心していたという[10]。
なお、ヒトラーが本作を見たかどうかについて、チャップリン研究者の大野裕之は2015年の著書で、ドイツ政府が収集した映画作品のリストに含まれているが、ヒトラーの鑑賞については不確かな証言が複数あるものの明確に裏付けられる資料はないとしている[32]。2001年に製作されたBBCドキュメンタリー作品『放浪者と独裁者』(The Tramp and the Dictator)(#外部リンクの当該項目を参照)では、「ヒトラーは実際にこの映画を観た」というヒトラーの元秘書による証言が残っている。Internet Movie Databaseによれば[どこ?]、チャップリンはこの証言を聞いて、「なんとしても感想を聞きたいね」と答えたという[33]。
大野はまた、『独裁者』公開後ヒトラーの演説回数が激減したと指摘し、これをチャップリンに笑いものにされたためヒトラーのイメージが崩れ演説の効力が無くなった結果、と評している[10]。
実際のヒトラーの最期は映画『独裁者』の終わり方のような希望であるよりむしろ絶望的であり、長年のパートナーであるエヴァ・ブラウンと正式に結婚して数十時間後に、総統地下壕の一室でエヴァとともに自死している。
フリーメイソンリー.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}左からチャップリン、ヒトラー、クーデンホーフ=カレルギー。1920年代の3人。
ヒトラーは反ユダヤ、反フリーメイソンであった。フリーメイソンはナチス党率いる当時のドイツ政府による弾圧の対象であり、ドイツ警察に収監され獄死したフリーメイソンたちがいる[34]。
映画『独裁者』の中盤、地球儀が大きな音を立てて破裂し、場面が理髪店に移りラジオから流れる音楽は、フリーメイソンの音楽家ヨハネス・ブラームス[35]の『ハンガリー舞曲 第5番』(管弦楽版)である。
チャップリン映画の常連でフリーメイソンのチェスター・コンクリンが前作『モダン・タイムス』に続いて本作『独裁者』に出演した[36][37]。ポーレット・ゴダード(1940年代)
「欧州統合の父」でパン・ヨーロッパ連合主宰者リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵は、ヒトラーの政治上の敵であり、チャップリンと共同で『独裁者』の配給元ユナイテッド・アーティスツを設立したダグラス・フェアバンクス(1925年にフリーメイソンリーに入会)や[38][リンク切れ]、出演者のチェスター・コンクリンらと同様、クーデンホーフ=カレルギー伯爵もまたフリーメイソンである(1922年に入会)[39][40]。