狩野光信
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父永徳の豪壮な大画様式とは対照的な理知的で穏やかな作風は、当時の戦国武将たちの好みとは合わなかったらしく、本朝画史では「下手右京」と酷評を受け近世を通じて評価が低かった[3]。しかし、祖父の狩野松栄や曾祖父狩野元信の画風や中世大和絵を取り入れ、自然な奥行きのある構成や繊細な形姿の樹木・金雲などを描き、特に花鳥画に優れる[4]。また、永徳時代には排斥の対象ですらあった長谷川派との親和を図り、新たな画題である風俗画に取り組むことで、永徳様式からの自立と新たな絵画領域の開拓を目指した。こうした光信の画業を継承する狩野長信狩野興以狩野甚之丞のような門人もおり、光信の画風は永徳様式から甥の探幽を中心とする江戸狩野様式への橋渡しする役割を果たしたといえる。
代表作豊臣秀吉像

園城寺勧学院客殿一之間「滝図」「四季花木図」 (重要文化財) 紙本金地著色 床壁貼付3面、襖8面、戸襖4面 慶長5年(1600年

法然院障壁画 (重要文化財)

妙法院玄関、大書院障壁画 (重要文化財)

都久夫須麻神社障壁画

豊臣秀吉像画稿 (重要文化財) 紙本墨画淡彩、逸翁美術館

豊臣秀吉像 (重要文化財) 絹本著色、高台寺 南化玄興

高台寺霊屋障壁画 (重要文化財) 慶長10年(1605年)

相国寺法堂天井画「蟠龍図」 ⇒[1]、板絵著色 慶長10年(1605年)

西王母東方朔図屏風、出光美術館

韃靼人狩猟図屏風、出光美術館

肥前名護屋城図屏風、佐賀県立名護屋城博物館

墓所狩野光信の墓(桑名市寿量寺)

狩野光信の墓(桑名市指定史跡)寿量寺と、京都の妙覚寺
脚注
注釈^ 生年については永禄4年〈1561年〉説もある。

出典^言経卿記
^ 『木挽町記』、木下延俊 『慶長日記』
^ “天才絵師一門同士の壮絶バトル”. 産経ニュースWEST (産経新聞社). (2013年5月19日). https://web.archive.org/web/20130608074807/http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130519/wlf13051907010001-n2.htm 2013年5月19日閲覧。 
^本朝画史

参考文献

黒田泰三
『狩野光信の時代』 中央公論美術出版、2007年 ISBN 978-4-8055-0551-9

大阪市立美術館 サントリー美術館 福岡市博物館など編集 『智証大師帰朝1150年 特別展 国宝 三井寺展』図録、NHK大阪放送局 NHKプラネット近畿 毎日新聞社発行、2008年

外部リンク

三井寺>ピックアップ2008>狩野光信 没後400年

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