最高視聴率:第84回「自首」の34.3%(1963年6月5日放送。「テレビ朝日開局60周年記念 年代別にすべて発表!! 番組視聴率ランキング」の1960年代視聴率ランキング 5位)
逸話
本作がスタートする直前、東映はテレビへの映画提供打ち切りに踏み切り、専属俳優のテレビドラマ出演を制限していった。さらに五社協定によって45分以上のテレビ映画の製作は禁止されていた。本作のスタートの背景にはこういった当時の映画とテレビとの関係を覗わせる制約が存在していた。このため初期の作品は実質NETテレビ主導で製作されていた。
番組3周年には、異例の試みとして作品内の事件の犯人が誰なのかを当てる「懸賞付き犯人当てクイズ」が行われた。この企画は後に5周年記念でも実施されている。
テレビ映画で初めて、磁気録音フィルム(COMMAG方式)が1966年1月12日放送分より使用される[8]。
放送250回を達成した1966年8月8日、東映東京撮影所の第8オープンスタジオで劇中で殺された317人のための慰霊祭が行われた。撮影所近くの寺院の僧侶による読経と250話分の台本がお焚き上げされる中で30数名の関係者がしめやかにお焼香し、形だけの被害者の冥福を祈った[9]。
第299話「夜の季節」のロケーション撮影で、練馬区立練馬図書館利用者の秘密侵害問題に関する内容が問題視され、図書館団体の申し入れにより当該演出を同団体の意向に添うよう変更し撮影を行っている。
詳細は「練馬図書館テレビドラマ事件」を参照
多摩川でロケ撮影中(話数不明)に偶然、服毒自殺の女性を発見し、劇中車両のパトカーで病院に搬送したり、脅迫容疑で追われていた暴力団員がロケ現場に紛れ込んでしまい本物の刑事と勘違いして逃走した末に取り押さえられて本物の警察に引き渡されるなどのハプニングもあったと言う[10]。
「砂に十字架を…」(第382話)に悪性腫瘍により右腕を切断した俳優・高橋英二を出演させ、「神への道」(第387話)に全盲の歌手・作曲家で知られた大野秋好