特別機動捜査隊
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フジテレビ系列1963年2月10日時点では日曜16:10 - 17:05に放送[5]
北海道放送TBS系列札幌テレビからの移行時期不明
1968年10月まで
北海道テレビNETテレビ系列1968年11月から
青森県青森放送日本テレビ系列
NETテレビ系列1969年11月まで、1975年4月から
1975年3月までは日本テレビ系単独加盟局
青森テレビNETテレビ系列
TBS系列1969年12月開局から1975年3月まで
ANN脱退・JNN正式加盟で青森放送へ再移行
岩手県岩手放送TBS系列岩手放送、1969年11月まで
テレビ岩手日本テレビ系列
NETテレビ系列1969年12月開局から1975年9月まで同時ネット。[注釈 16]
宮城県東北放送TBS系列1962年から1970年9月まで
ミヤギテレビ日本テレビ系列
NETテレビ系列1970年10月開局から1975年9月まで
東日本放送NETテレビ系列1975年10月開局から
秋田県秋田放送日本テレビ系列
山形県山形放送日本テレビ系列
山形テレビフジテレビ系列
NETテレビ系列1975年3月まではフジテレビ系列単独加盟局
福島県福島テレビ日本テレビ系列1966年4月から1970年1月まで[注釈 17]
福島中央テレビ日本テレビ系列
NETテレビ系列1970年2月から[注釈 18]
1971年9月まではフジテレビ系列・NETテレビ系列(クロスネット局)
山梨県山梨放送日本テレビ系列[注釈 19]
新潟県新潟放送TBS系列1966年から1967年まで
新潟総合テレビ[6]フジテレビ系列
日本テレビ系列
NETテレビ系列現:NST新潟総合テレビ、1968年12月開局から
長野県信越放送TBS系列1968年打ち切り
長野放送フジテレビ系列1971年から
静岡県静岡放送TBS系列1966年から1970年6月まで
テレビ静岡フジテレビ系列1970年7月5日から1977年4月24日まで[注釈 20]
富山県北日本放送日本テレビ系列
石川県北陸放送TBS系列1965年4月時点で木曜22:15 - 23:15に放送
福井県福井放送日本テレビ系列
中京広域圏名古屋テレビNETテレビ系列1962年から
近畿広域圏毎日放送1975年3月まで
朝日放送朝日放送
1975年4月から、腸捻転解消に伴う移行
島根県山陰放送TBS系列1965年から1968年まで
当時の放送免許エリアは島根県のみ
島根県
→島根県・鳥取県山陰中央テレビフジテレビ系列1970年4月から
1972年9月までの放送免許エリアは島根県のみ
相互乗り入れに伴い鳥取県にも放送エリア拡大
岡山県山陽放送TBS系列山陽放送、1965年から1969年3月まで
当時の放送免許エリアは岡山県のみ
テレビ岡山フジテレビ系列
NETテレビ系列テレビ岡山、1969年4月の開局から
1977年3月までの放送(当時の放送免許エリアは岡山県のみ)
広島県中国放送TBS系列1963年から1970年9月29日まで遅れネットで放送
一時放送を中断した期間あり
広島ホームテレビNETテレビ系列1970年10月サービス放送開始から[7]
山口県山口放送日本テレビ系列
テレビ山口TBS系列
フジテレビ系列
NETテレビ系列
徳島県四国放送日本テレビ系列
香川県西日本放送
瀬戸内海放送NETテレビ系列1969年4月の開局から
1977年3月までの放送(当時の放送免許エリアは香川県のみ)
愛媛県南海放送日本テレビ系列
高知県高知放送
テレビ高知TBS系列
福岡県九州朝日放送NETテレビ系列1964年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局[注釈 21]
長崎県長崎放送TBS系列
熊本県熊本放送
大分県大分放送1965年から1967年まで
テレビ大分フジテレビ系列
日本テレビ系列
NETテレビ系列1970年4月開局から
宮崎県宮崎放送TBS系列1965年から1968年まで
テレビ宮崎フジテレビ系列
NETテレビ系列1970年4月開局から
1972年3月までは独立放送局
NETテレビ系列には一般番組のネット保証契約の後、1976年4月に正式加盟
鹿児島県南日本放送TBS系列1964年から1967年まで
鹿児島テレビフジテレビ系列
日本テレビ系列
NETテレビ系列1969年4月開局から
沖縄県琉球放送TBS系列[注釈 22]
沖縄テレビフジテレビ系列[注釈 23]

視聴率

最高視聴率:第84回「自首」の34.3%(1963年6月5日放送。「テレビ朝日開局60周年記念 年代別にすべて発表!! 番組視聴率ランキング」の1960年代視聴率ランキング 5位)
逸話

本作がスタートする直前、東映はテレビへの映画提供打ち切りに踏み切り、専属俳優のテレビドラマ出演を制限していった。さらに
五社協定によって45分以上のテレビ映画の製作は禁止されていた。本作のスタートの背景にはこういった当時の映画とテレビとの関係を覗わせる制約が存在していた。このため初期の作品は実質NETテレビ主導で製作されていた。

番組3周年には、異例の試みとして作品内の事件の犯人が誰なのかを当てる「懸賞付き犯人当てクイズ」が行われた。この企画は後に5周年記念でも実施されている。

テレビ映画で初めて、磁気録音フィルム(COMMAG方式)が1966年1月12日放送分より使用される[8]

放送250回を達成した1966年8月8日、東映東京撮影所の第8オープンスタジオで劇中で殺された317人のための慰霊祭が行われた。撮影所近くの寺院の僧侶による読経と250話分の台本がお焚き上げされる中で30数名の関係者がしめやかにお焼香し、形だけの被害者の冥福を祈った[9]

第299話「夜の季節」のロケーション撮影で、練馬区立練馬図書館利用者の秘密侵害問題に関する内容が問題視され、図書館団体の申し入れにより当該演出を同団体の意向に添うよう変更し撮影を行っている。
詳細は「練馬図書館テレビドラマ事件」を参照

多摩川でロケ撮影中(話数不明)に偶然、服毒自殺の女性を発見し、劇中車両のパトカーで病院に搬送したり、脅迫容疑で追われていた暴力団員がロケ現場に紛れ込んでしまい本物の刑事と勘違いして逃走した末に取り押さえられて本物の警察に引き渡されるなどのハプニングもあったと言う[10]

「砂に十字架を…」(第382話)に悪性腫瘍により右腕を切断した俳優・高橋英二を出演させ、「神への道」(第387話)に全盲の歌手・作曲家で知られた大野秋好を出演させたのは中井プロデューサーの希望であり、後者に関しては「2年越しの構想であった」と語っている[11]

メインカメラマンを担当した内田安夫は第60話「禁断の過去」(第2回)と第496話「闇の中」(第11回)の撮影で日本映画テレビ技術協会が制定した日本テレビ技術賞を受賞した。

番組開始当時は30分もののドラマが70万円程の予算だったのに対し、1時間ものである本作は1本につき100万円以下の予算だったため、無名の役者や歌手を出演させたりしていた。また、2本の話をわずか2週間足らずで仕上げるというハードスケジュールぶりで、前後編でないにも関わらず出演者の顔ぶれが重複しているケースが多いのもこのためである。


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