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この項目では、演出振付家のMIKIKOについて説明しています。ナレーターのMIKIKOについては「南美希子」をご覧ください。
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MIKIKO
出生名水野幹子
生誕 (1977-08-11) 1977年8月11日(46歳)
出身地 日本広島県[1]
職業振付師演出家
活動期間1996年 -
共同作業者ELEVENPLAY
公式サイト ⇒www.mikiko0811.net

MIKIKO(みきこ、1977年8月11日 - )は、日本の演出振付家[2]。女性ダンスカンパニー、株式会社ELEVENPLAY(イレブンプレイ)代表取締役[3]愛称は「MIKIKO先生」。
経歴

東京生まれ[4]。3人姉妹の末っ子で、2歳のとき父親の転勤で広島市へ引っ越す[4]。広島の自宅は毎年5月にひろしまフラワーフェスティバルが開催される平和大通り100m道路)沿いにあり[5]、ステージの骨組みが出来ていく過程を興味深く眺めていた[5]。父親が広告代理店に勤務していたため、ライブや舞台裏を見ることができた[5]。振付師という職業を知ったのも、米米CLUBのライブをバックステージで見せてもらったことがきっかけという[6]。舞台を作る仕事の原点は子ども時代にあるのかもと話した[5]安田女子中学校のバトン部の一員としてフラワーフェスティバルの舞台やパレードに出て、人前で踊る楽しさを覚え、高校に入ってヒップホップダンスを始めた[5][7]

1996年、19歳からバレエとストリートダンスの経験を元にダンス指導を開始する[8][9]1999年、大学在学中の21歳のとき、テレビ新広島アミューズと提携してアクターズスクール広島を開校するための最初の講師陣の一人となった[5][7][10][11]。一期生には当時小学校5年生だった(のちの)Perfumeもいた[1][12][13]。Perfumeが東京に出て以降も、(アミューズでの初期の活動の一時点を除いて)楽曲ほぼすべてで振り付けを担当している[13][14]。スクールの発表会は年に春と秋の2回あり、年間約50曲の振付をスクール生のために作成し、構成を含めたスキルが鍛えられた[7]

2000年MAXバックダンサーとなり[15]、同時期にダンスグループVAXを結成した[16]。広島と東京の間を週1回は往復する生活を5年間ほど送る[16]。2003年、当時中学3年生のPerfumeがアミューズとマネジメント契約を結び、3人だけで上京。

2005年、28歳のときMIKIKOもアミューズとマネジメント契約を結び、本格的に演出家としての活動を開始[14]、「つくる仕事」に専念するため東京に転居[5]。この直接のきっかけは同社会長の大里洋吉が舞台「DRESS CODE」を見たこと[7]。MIKIKOはその作・演出・振り付けを手掛けた。大里は演出家になること、感性を磨くため米国ニューヨークに転居することを指示[16][17]2006年から二年間米国留学[4]。在米中もビデオレターを用いてPerfumeらにダンスを指導した[8][16]2008年帰国しPerfumeがブレイクしたことを知る[16]

帰国後、アミューズ所属のアーティストを中心に振り付けを提供[12]2009年ELEVENPLAYを立ち上げ。この頃からテレビCMの振り付けやコンサート演出を大量に手掛けるようになる。2010年さくら学院の結成以降、同グループとその派生ユニット(BABYMETAL科学究明機構ロヂカ?など)の楽曲すべてを振り付け[12]2012年蛯原友里押切もえ安座間美優山本美月モデル17人が踊るファッションショー「Canコレ!」の振り付けを担当[18][19][20][21]

2014年、ELEVENPLAYが初音ミクと共にレディー・ガガのコンサート前座を務める[22]。MIKIKOが振り付け・演出した 伊勢丹の宣伝動画 がグッドデザイン賞を受ける[23]2015年、技術と芸術の祭典「SXSW」におけるPerfumeの 公演 が「ACC CM FESTIVAL」インタラクティブ部門の総理大臣賞/ACCグランプリを受賞[24]。MIKIKOは絵コンテを作り、真鍋大度らに照明やカメラワークを指示した[25][26]


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