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出典検索?: "レイザーラモンHG"
レイザーラモンHG
後楽園ホールで行われたハッスル・ツアー2008
?12.25 クリスマスSP part.2?にて
本名住谷 正樹(すみたに まさき)
生年月日 (1975-12-18) 1975年12月18日(48歳)
出身地 日本 兵庫県加古郡播磨町
(出生地は神戸市垂水区)
血液型B型
身長185cm
言語日本語
方言関西弁・共通語
最終学歴同志社大学商学部
出身心斎橋筋2丁目劇場のオーディションライブ
コンビ名レイザーラモン
相方レイザーラモンRG
芸風漫才、コント
立ち位置左
事務所吉本興業
活動時期1997年 -
同期福田充徳(チュートリアル)
バイきんぐ
青空
ゴリけん
ヤナギブソン(ザ・プラン9)
他の活動プロレスラー(2005年 - 2010年)、画家
配偶者住谷杏奈(2006年 - )
公式サイトプロフィール
受賞歴
ユーキャン 新語・流行語大賞 2005 トップテン
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レイザーラモンHG(レイザーラモンエイチジー、1975年〈昭和50年〉12月18日 - )は、兵庫県出身の日本のお笑いタレント、元プロレスラー。お笑いコンビレイザーラモンのメンバー。
本名の「住谷 正樹」(すみたに まさき)名義での活動もある。左利き。
来歴
兵庫県加古郡播磨町出身。播磨町立蓮池小学校、播磨町立播磨中学校、兵庫県立加古川東高等学校卒業後[1]、同志社大学商学部に入学。
1997年、同大学で学生プロレスに没頭する。同じ頃、立命館大学プロレス同好会に在籍していた出渕誠と出会い、お互いに意気投合しお笑いコンビ「レイザーラモン」を結成する。
卒業記念でエントリーした「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」で福笑い大賞を受賞。それがきっかけでお笑いにのめり込み、心斎橋筋2丁目劇場のオーディションライブ「SABIKI」などに出演し、腕を磨く。
大学卒業後は生活協同組合コープこうべに就職。しかし、お笑いの道を諦めきれず約4か月で退職し吉本興業入り。なお芸歴は福田充徳(チュートリアル)と全くの同期でNSC大阪校17期と同期[2]扱いとされている。
2001年11月、吉本新喜劇に入団。
2002年から、ハードゲイキャラクターとしての活動を開始(レイザーラモンの「住谷正樹」として)。
2003年
レイザーラモンと小籔千豊でユニット、ビッグポルノを結成。ビッグポルノでのコントにおける代表的なキャラクターはベテラン落語家「桂スミ珍」。周囲のシュールなボケに翻弄される役割を演じている。
M-1グランプリに、レイザーラモンとしてHG漫才で臨んだが3回戦敗退。
オールザッツ漫才では、プロレス技を織り込んだ漫才で1分ネタに挑んだが、初戦敗退。余りの出番の少なさに「ちょっと、腰振り足りないッスよ、俺!! 今から十三で暴れて来ます!」と敗戦の弁を語った(結局OA中には十三には行かなかった)。
2005年
2月、『爆笑問題のバク天!』(TBS)にハードゲイキャラで出演。以降、全国区でブレイクする。
プロレス興行のハッスルにも出場する様になり、プロレスラーとしても活動を開始した。
2006年8月8日に鈴木杏奈と結婚。11月26日には椿山荘にて結婚式を挙げ、初めてサングラス・帽子を外した素顔の状態の写真が各局のワイドショーなどで公開された。2008年7月23日に第一子(男児)が、2011年5月12日に第二子(女児)が誕生している。
2009年7月の『ハッスル』興行で左足かかとを粉砕骨折する怪我を負う。その後、かかとの皮膚が壊死したため皮膚移植手術を受けるなど完治までに約8か月を要し、その間の芸能活動の休止を余儀なくされた。本人によれば「月給が7000円にまで落ちてしまった」「妻のタレント活動や子供服のデザイン料などで食わせてもらっていた」と発言[3]。
2010年4月より復帰。以降は、コンビで漫才に取り組む方針もあり積極的にマスクを外し、ドキュメンタリー番組『魔女たちの22時』(日本テレビ)では住谷正樹として杏奈夫人と出演。HGの正体として紹介された。『世界笑える!ジャーナル』(TBS)では、VTRの途中でHGから素顔になっていたり、スタジオでも他の出演者と同じ服装でサングラスのみ装着となっていた。
2019年6月24日、5年前に行った反社会的勢力との闇営業に他の芸人と同席していたことが発覚し、当面の間の謹慎処分となった[4]。