特別:カテゴリ内おまかせ表示/Category:かつて存在した日本の鉄道事業者
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8.4入下駅


9.6寺谷駅


10.6掛下駅


11.7平松駅


13.2神増駅


13.9上神増駅


15.3田川駅


国鉄:二俣線 [* 1]


野部駅 [* 2]


16.4上野部駅


17.2神田公園前駅


上野部駅 [* 3]


遠江二俣駅 [* 4]




19.1二俣口駅


19.8二俣町駅
^ 当時未開業。現・天竜浜名湖鉄道
^ 国鉄二俣線に開業、現・豊岡駅
^ 国鉄二俣線に開業
^ 国鉄二俣線に開業、現・天竜二俣駅



路線データ

1936年(昭和11年)1月時点

路線距離:新中泉 - 二俣町間19.8km

駅数:19(起終端駅含む)

軌間:1067mm

複線区間:なし(全区間単線

電化区間:全線(直流1500V)

見付変電所、回転変流器(交流側557V直流側750V)直流側の出力300KW、常用2、予備1、製造所明電舎[23]


運行状況

1934年(昭和9年)7月改正時

運行本数:新中泉 - 遠州見付間21往復、遠州見付 - 二俣町間14往復

所要時間:新中泉 - 二俣町間37-40分

駅一覧

駅名は廃止時点のもの

新中泉駅 - 中泉二之宮駅[24] - 遠州見付駅 - 川原駅 - 加茂東駅 - 三ツ入駅 - 遠州岩田駅 - 匂坂駅 - 入下駅 - 寺谷駅 - 掛下駅 - 平松駅 - 神増駅 - 上神増駅 - 田川駅 - 上野部駅[25] - 神田公園前駅 - 二俣口駅 - 二俣町駅

遠州見付駅

遠州岩田駅

二俣町駅

接続路線

事業者名は廃止時点のもの

新中泉駅:
鉄道省東海道本線(中泉駅、後の磐田駅

車両デハ11東武デハ5(保存車)。デハ2・7と同時に製造された同型車。

当初の計画では電車10両、貨車80両を導入する計画だったが、その後電車・貨車とも5両ずつに変更。最終的に電車3両、貨車4両となった。
 デハ10形

デハ11・12
16m級木造ダブルルーフ車体で、運輸省の公文書内には東武鉄道デハ2・7を借り入れたものとされているが、『光明電気鉄道:廃線跡を訪ねて』によれば「東武鉄道からの貸出実績はなく東武鉄道自身も車両不足である」と記されている他、デハ11・12とも1928年蒲田車輌製であり、東武デハ2・7は日本車輌製造東京支店製と製造所が一致せず、実際は東武鉄道からの借り入れ車ではないと推察される。デハニ13のように蒲田車輌から新車として購入したものかは不詳。
デハニ13
1928年蒲田車輌製の荷物合造車で、こちらは新造車だった。外観はほぼデハ11・12と同一。主電動機は65馬力の三菱MB64-Dを4基装備している。当鉄道運転休止後は3両とも富山電気鉄道に売却されて、デハ11・12はモハ300形301・302、デハニ13はモニ310形311となり、同社線(現在の富山地方鉄道本線)系統で運用された。1943年に富山電気鉄道が戦時合併で富山地方鉄道となり3両とも同社に引き継がれる。戦後の1949年に富山の日本海ドックで鋼体化改造、モハ301・302は荷物合造車化がされ、モニ311あわせて同一形式のモニ6570形(モハ301→モニ6571・モハ302→モニ6572・モニ311→モニ6573)となった。この時、モニ6571・6572の荷物室と客室の仕切りは着脱自在となっており、荷物室部分には折り畳み収納の可能なロングシートの座席と網棚が設けられ、客室としても使えるようになっていた。改造後は機関車代用や荷物電車として使用され、1969年廃車。
輸送・収支実績

年度乗客(人)貨物量(トン)営業収入(円)営業費(円)益金(円)その他損金(円)支払利子(円)政府補助金(円)
19288,86701,0731,872▲ 79912,8520
1929181,639024,60252,280▲ 27,678雑損11,43334,98846,908
1930189,682020,17651,941▲ 31,765雑損3,29964,30955,258
1931218,1683,79939,30163,859▲ 24,558雑損48,799101,89959,023
1932199,9468,70048,09463,882▲ 15,788雑損14,76188,70651,583
1933198,3828,51636,18254,900▲ 18,718雑損7,27373,6581,670
1934215,0175,40933,40154,503▲ 21,102雑損2,28023,2750


鉄道統計資料、鉄道統計各年度版

廃線後プラットフォーム1面が残る二俣口駅跡(2014年9月)。画像奥は天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線天竜二俣駅。終着駅・二俣町駅跡

光明電気鉄道の田川駅 - 二俣口駅間の廃線跡地は、後の1940年(昭和15年)に鉄道省二俣線野部駅 - 遠江二俣駅間(現・天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線豊岡駅 - 天竜二俣駅間)が建設される際に敷設用地として転用され、途中にあった伊折トンネル、神田トンネルはそのまま現在に至るまで使用されている。伊折トンネルと神田トンネルの天井付近には架線を吊っていた金具が残っている。このうち、神田トンネルは国の登録有形文化財に登録されている。なお、同線には1955年(昭和30年)に上野部駅が新設されたが、光明電気鉄道の野部駅の位置ではなく、神田公園前駅があった付近に置かれている。天竜二俣駅の構内の外れには二俣口駅跡のプラットホームが残っており、2016年(平成28年)に浜松市の地域遺産に認定された。そこから先の区間は阿蔵トンネルがほぼ当時のまま残されているが、両坑口は民有敷地内となっており、さらに奥では落盤による崩落が発生している。二俣町駅の辺りには現在秋野不矩美術館が建てられているが、線路、駅の痕跡は消失している。

その先の未成線に終わった区間は、大谷地区に一部路盤が残っている。その奥にあった大谷トンネルは南坑口が市民の森遊歩道整備に伴い埋め立てられているものの、北坑口は深い藪に覆われながらも現存している。ただし、坑口すぐのところで天井が崩壊しており内部立ち入りは不可能である。それより先、最終目的地であった船明駅までの築堤は南半分が区画整理事業に伴う整地により失われたが、北半分は国道152号のバイパス用地となった。

ちなみに、大谷トンネルは太平洋戦争初期は軍の弾薬庫、後期は日本楽器製造(現・ヤマハ)の疎開工場として使われた。

一方、新中泉駅(現・磐田駅構内)から野部駅(現・豊岡駅)までの廃線跡地は一部が宅地や田畑になっているものの道路として辿れる部分も多い。


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