デモクリトスは原子論を、プラトンは有機体論を、アリストテレスは質料形相論を提示した[5]。これら、紀元前400年から紀元前300年ころにかけて提示された競合的な理論は、この時代にしてすでに、その後の時代の哲学や学問が見せることになるおおまかな輪郭をあらかじめ示しており[5]、これらの観念群は、その後 物質に関する知識が進展する中で、繰り返し現れてくることになり、大きな影響を与えることになった[5]。
デモクリトス(B.C 460-367)の原子論については「原子論」の記事に説明を譲ろう。 エンペドクレスは、紀元前440年ごろに、空気が物質であることを実証した。 オリジナルとは少々異なるが簡単に確認することができる。大きなバケツに水を一杯に入れる。そのバケツに漏斗の細い口を指で塞ぎながら、広い開口部を下に向けてバケツに入れると、漏斗には水が入ってこない。指を漏斗口から外すとそこに水が流れ込み、空気がその口から勢いよくで出てくる。空気が水が空間を占めるのを邪魔していたことから、空気は物質であるというわけである。物質の基本的な属性の一つである、空間を占有する(体積を持つ)という性質を空気が持っていたことを実証したわけである。[6] これは、物質(Matter)の基本的な古典的定義の一つである「物質は質量をもち、空間を占有するもの」[7]という後者の属性を実証するものである。 プラトンはイデア論を唱え、永遠不変なのはidea イデアである、としたのであるが、それに対して物質をどのように見なしたかというと、永遠に現実的なものではない、とした[5]。物質的なものは「いつも生成の過程の中にあって、真実にあるものではない」(『ティマイオス』27e-28a)としたのである。弁論術の方法と階層秩序を用いているイデア論は、部分によって全体を説明するのではなく、全体によって部分を説明する有機体論的な傾向を示している[5]。 イデアは普遍的、絶対的、永遠的、遍在的、可知的、調和的で完全なものであったのに対して、物質というのは特殊的、相対的、時間的、局所的で、混乱し、不協和で、欠陥のあるものであった[5]。正四面体正八面体正二十面体 こうした見方をしていたにもかかわらずプラトンが原子的な構造についての仮説も述べていた(『ティマイオス』53c-58c)と知ると多くの人は驚く[5]。プラトンにおいては物質と空間は《受容体》として同一視された[5]。彼の原子的な理論は、物質と空間を同一視し、(材料ではなく)幾何学的構造を用いて説明されている[5]。彼はエンペドクレスの四元素とテアイテトスが確立した五つの正立体
エンペドクレス
プラトンプラトン
プラトンの物質観でもうひとつ重要なのは《非在》という概念である。彼はイデアという永遠で完全に理解可能な原型を考えたわけであるが、だとするとその感覚的現れが多様なのは何によるものなのか? という疑問も生じるが、それを解決するために、《非在》がある(『ソピステス』241e)と述べる必要を感じたのであった。(デモクリトス同様に)充満する存在と対立する原理の必要性を感じたのである[5]。
なお新プラトン主義には「物質の慣性的受動性」という概念があるが、マックス・ヤンマーが「質量」概念の起源を探った時にたどり着いたのはその概念であった[5]。 世界が物質だけからなるとか、全ての物事は物質的作用として説明できると考える立場を唯物論などと呼ぶ。
その後