18世紀から、ロバート・ボイル、トマス・ヤングら大勢の学者によって熱力学が発展した。1733年に、ダニエル・ベルヌーイが熱力学的な結果を導くために古典力学とともに統計論を用いた。これが統計力学の起こりである。1798年に、ベンジャミン・トンプソンは力学的仕事が熱に変換されることを示した[10]。1820年代にはサディ・カルノーがカルノーサイクルによる熱力学の研究を行い[11]、1840年代に、ジェームズ・プレスコット・ジュールは力学的エネルギーを含めた熱についてのエネルギーの保存則を証明した[12]。1850年にはルドルフ・クラウジウスが熱力学第一法則および熱力学第二法則を定式化した[13]。
電磁気学の発達マクスウェルの方程式
電気と磁気の挙動はマイケル・ファラデー、ゲオルク・オームらによって研究された。ジェームズ・クラーク・マクスウェルは1855年から1864年までに発表した3つの論文で、マクスウェルの方程式で記述される電磁気学という単一理論で二つの現象を統一的に説明した[14]。この理論によって光は電磁波であると予言された[14]。この予言は後にハインリヒ・ヘルツによって実証された[15]。
1895年にヴィルヘルム・レントゲンがX線を発見し、1896年にはアンリ・ベクレルがウランの放射能を、1898年にはピエール・キュリーとマリ・キュリーがウランよりも強力な放射能を持つラジウムを発見した[16]。これが原子核物理学の起こりとなった。
原子の存在そのものは紀元前5世紀にレウキッポスとデモクリトスの原子論によって想定されていたが[17]、近代的な原子論は1808年にジョン・ドルトンによって提唱された[18]。ジョゼフ・ジョン・トムソンは1899年に、原子よりもはるかに小さな質量を持ち、負の電荷を持つ電子の発見を発表し[19]、1904年には、最初の原子のモデルを提案した[20]。このモデルは現在ブドウパンモデルとして知られている[21]。
現代物理学詳細は「現代物理学」を参照
1905年、アルベルト・アインシュタインは特殊相対性理論を発表した[8]。アインシュタインの相対性理論において、時間と空間は独立した実体とは扱われず、時空という一つの実体に統一される。相対性理論は、ニュートン力学とは異なる慣性系間の変換を定める。相対速度の小さな運動に関して、ニュートン力学と相対論は近似的に一致する。このことはニュートン力学の形式に沿って定式化された相対論的力学において明確になる。
1915年、アインシュタインは特殊相対性理論を拡張し、一般相対性理論で重力を説明した。特殊相対論によって、力学と電磁気学の理論は整合的に説明できるようになったが、重力に関してはニュートンの万有引力以上の満足な説明を与えることができなかった。一般相対論によって、重力の作用を含めた包括的な説明ができるようになった。一般相対論において、ニュートンの万有引力の法則は低質量かつ低エネルギーの領域における近似理論と見なすことができた。
1911年に、アーネスト・ラザフォードの下で原子の研究が進展し、その時のラザフォード散乱から、電荷を持つ物質を核とする原子像(ラザフォードの原子模型)が提唱された[22]。原子核を構成する正電荷の粒子は陽子と呼ばれる。電気的に中性な構成物質である中性子は1932年にジェームズ・チャドウィックによって発見された[23]。
1900年代初頭に、マックス・プランク、アインシュタイン、ニールス・ボーアたちは量子論を発展させ、離散的なエネルギー準位の導入によってさまざまな特異な実験結果を説明した。1925年にヴェルナー・ハイゼンベルクらが[24]、そして1926年にエルヴィン・シュレーディンガーとポール・ディラックが量子力学を定式化し[25]、それによって前期量子論は解釈された。量子力学において物理測定の結果は本質的に確率的である[26]。つまり、理論はそれらの確率の計算法を与える。量子力学は小さな長さの尺度での物質の振る舞いをうまく記述する。
また、量子力学は物性物理学の理論的な道具を提供した。凝縮系物理学では誘電体、半導体、金属、超伝導、超流動、磁性体といった現象、物質群を含む固体と液体の物理的振る舞いを研究する。凝縮系物理学の先駆者であるフェリックス・ブロッホは、結晶構造中の電子の振る舞いの量子力学的記述を1928年に生み出した[27]。
第二次世界大戦の間、核爆弾を作るという目的のために、研究は核物理の各方面に向けられた。