ローマ・カトリック(東方典礼カトリック教会を除く)の司祭と違い、牧師は結婚できる。そもそも万人祭司の考え方を取るプロテスタントでは、牧師を聖職者とみなす概念が薄いため、独身制という考え方自体が成り立たない。独身である牧師ももちろんいるが、それは宗教上の理由ではなく、主として個人的理由である。家庭を持つことで、夫婦間や子育て・育児についての悩みに共感できることが、結婚する利点として挙げられる。結婚は創造の秩序であるから、男性の牧師は結婚することが望まれており[14]、神学校の中には独身者の入学を断るところもある。
正教会では神品機密を受け輔祭になる前なら結婚できる。したがって正教会の独身の司祭は結婚できないが、家庭をもつ正教会の司祭もいる。 カトリック教会に女性の司祭は未だ存在しないが、プロテスタントの場合、教派によっては女性の牧師を正式に認めている。日本における女性牧師の嚆矢は、日本基督教会の富田満の動議による1933年12月5日の高橋久野と、翌年1934年の植村正久の娘の植村環の按手であるが、彼女は世界的にも最初期の女性牧師の一人である[15]。日本の牧師の女性比率の高さに鑑みるに、日本プロテスタント伝道史の初期に彼女が存在した意義は大きいとも考えられる。日本基督教団は戦時中から多くの女性牧師を採用し、教会で語らせた。また、主の十字架クリスチャン・センターにも女性牧師が多く、女性が用いられる教会であることを強調している[16]。一方、美濃ミッションのセディ・リー・ワイドナー宣教師は、婦人牧師は非聖書的であるとして、自ら牧師にならなかった。 宗教改革者マルティン・ルターやジャン・カルヴァンは婦人の牧師を認めていなかった。チャールズ・スポルジョンも婦人の牧師を認めなかった。婦人牧師を認めるか否かはいまだプロテスタント教会でも議論があり、マーティン・ロイドジョンズや南部バプテスト連盟、日本バプテスト連合などは婦人牧師を認めていない[17][18][19]。一方で、救世軍などのように設立当初から女性牧師を積極的に認め、時に教団代表に就任させている教派もある。 日本聖公会の『聖公会の信仰と職制を考える会』の主教は4名の連名で声明を出し、「特別に男性の中から主教を聖別し、また司祭職を男性に限って」来たことは、神の創造の秩序と関わりがあるとしている[20]。 正教会にあっては神品 (正教会の聖職)の任に就くことがない女性も、女性伝教師となっている事例が存在する[21]。ただし日本正教会には現在、女性伝教師は存在しない。 近現代に入り、正教会でかつて女性輔祭が存在し、大きな役割を与えられていたことについての研究もなされている。ロシア正教会では1917年のロシア革命直前期において行われていたロシア正教会公会準備期間中に、女性輔祭制度復活については真剣に討議されていた。しかしながらロシア革命とその後の共産主義政権による弾圧によって、この公会準備期間において討議されていたいくつかの改革案とともにこれは頓挫した[22]。 一方で、東方正教会の一部にはギリシアを中心に古代から「女輔祭 聖公会では、各個教会を司牧する責任者を牧師(Rector
婦人教役者
聖公会の牧師
一人の司祭(または主教)が複数の個教会の司牧を兼任する場合もあり、主として司牧する教会以外の教会を補欠的に司牧する者は「管理牧師」と呼ばれる。また、1つの教会に複数の司牧者がいる場合もあり、主席司牧者以外の補助的司牧者は副牧師(Curate)と呼ばれる。
聖職者(主教・司祭・執事)の按手・叙任は「聖奠的諸式」(Sacramental Rites)すなわち聖奠(サクラメント)に準ずる神秘的儀礼とされ、「魂の刻印」と見なされるため、教会での教導職を退いたのちも、原則的に逝去するまでその地位は保たれる。それに対して、「牧師」はあくまで役職であるため、任が解かれたら牧師ではなくなる。
このように、聖公会における「牧師」はプロテスタント用語の牧師(Pastor)とは本質的に意味合いが異なり、呼称としても「牧師」と呼ぶケースは少ない。多くの教会では「司祭」あるいは「先生」と呼ぶ。また、司祭に対する敬称として「神父」と呼ぶ場合も稀にある。
なお、同じ漢字文化圏でも、韓国の大韓聖公会では「牧師(??)」という語は用いられない[6]。「司祭#聖公会」および「神父#聖公会」も参照 日本ホーリネス教会では、1928年4月の第十年会以降、中田重治監督の方針で牧師を福音使と呼んだ。牧師の福音を伝える役目を強調した名称である。中田自身もホーリネス分裂事件後に自らを一福音使と呼んでいる。 中田は、「福音使は信徒に代わって伝道するもの故、教会の伝道費中より生活費を得べきこと」[25]と述べている。 教派によって違うが、一般的に、教派指定の神学校に通い、聖書、神学、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語、アラム語、コプト語、カウンセリング、教会音楽などを学び、卒業後、試験に合格した者が伝道師となる。神学校は公に認可された大学の神学部や専門学校、各種学校である場合も、公の学校制度の枠外にある教団の学校(宗教法人立や私塾など)である場合もある。日本基督教団は二重教職制を持ち、伝道師として、キャリアを積み試験に合格した者が按手を受けて牧師となる。二重教職制を敷かない教派はいきなり牧師となるが、通常は主任牧師が既にいる教会の副牧師として経験を積む。 また、一部的中華系、アフリカ系、さらにアメリカの教会でも、神学校制度に反対し、師弟制及び所属する教会が開発した神学教育課程を利用して教役者を訓練している。「神学校」を参照
福音使
牧師の任職が望まれています。
監督制での任職が望まれています。
長老制での任職が望まれています。
会衆制での任職が望まれています。
牧師の養成
牧師の服装例詳細は「祭服#プロテスタント諸派の祭服と祭色」を参照@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}
ドイツのルター派(福音主義教会)牧師
米国のルター派(ミズーリ・シノッド
ローマ・カトリックや聖公会と同様、アルブの上に典礼色のストールを着用している
ジュネーヴ・ガウンを着用した長老派牧師
脚注[脚注の使い方]
注釈^ イギリス英語: [?p??st?], アメリカ英語: [?past?][1]:(慣用)パスター/ドイツ語: [?past???], [pas?to???][2]:パストア、パストーア/教会ラテン語: [?past??r][3]:パストル
出典^ wikt:en:pastor#English