牧口常三郎
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なお、創価学会はこの日を創価教育学会設立の日としている。1931年、教職を辞し、宗教・教育活動に専念。同年に出版した『創価教育学体系』第2巻(『価値論』)で唱えた「創価教育学」は、新渡戸稲造や柳田國男らから評価された。

牧口は著書において「人生の目的は価値創造にある」という理念を唱え、価値の対象として「美・利・善」を挙げている。これはヴィンデルバンド新カント学派代表)の価値体系である「真・善・美」と一線を画すものである。「真理認識の対象であり価値の当体ではない。主体と客体の関係の中にこそ価値は存在する」として、新カント学派の説く「真」の代わりに「利」の価値を説いた。
創価教育学会創立

創価教育学体系の刊行を機に、「創価教育学支援会」が結成された。[5][6]。同会には『創価教育学体系』を高く評価した新渡戸稲造柳田國男犬養毅ら28名が参加した。

1936年4月30日、教育者による創価教育学会春季総会を開催し、機関紙『新教』を発刊。同紙は7月号から『教育改造』と改題される。1939年12月、麻布の菊水亭にて創価教育学会の事実上の第1回総会を開催。
検挙・獄死

1941年には機関誌『価値創造』を発刊するが、翌年廃刊。戦時下の特別高等警察による監視が続けられる中で、牧口は国内各地において大善生活実験証明座談会を開催し、戦前の最盛期には、後の創価学会の最高幹部となる和泉覚辻武寿原島宏治小泉隆らを含め、3000人の会員を擁すまでとなる。

1943年5月、神社神道を批判したことで機関誌『新教』が廃刊となる[7]。6月、日蓮正宗総本山大石寺に呼ばれた牧口と戸田らは、管長鈴木日恭堀日亨同席の下、庶務部長から「学会も一応、神札を受け取るようにしてはどうか」と申し渡されるが、これを拒絶する(神札問題)[8]。その後、創価教育学会は登山を禁止された。

同年7月6日、伊豆下田での座談会開催直後、伊勢神宮神札を祭ることを拒否したために、治安維持法違反並びに不敬罪の容疑で下田警察署に連行される。同日、戸田らも検挙。この一連の弾圧で21名の幹部が検挙された。牧口は獄中においても転向を拒否し、1944年11月18日東京拘置所内の病監で栄養失調老衰のため死去した。
死後創価学会東京牧口記念会館(八王子市)

死後は創価学会初代会長とみなされ、また殉教者として尊敬されている。11月18日は「殉教の日」とされる。また1993年10月には、八王子市に牧口を記念して創価学会東京牧口記念会館が開館した[9]

墓地は東京都八王子市の日蓮正宗高尾墓園の特別区画および日蓮正宗大石寺にある。墓園のほうには遺骨が入っていない。墓園は、1963年創価学会が寄進し、1980年正信会による管理になり、1999年日蓮正宗による管理が裁判で確定し、正信会による事実上の管理が継続中である。1970年1月18日、墓園の墓79基が荒らされていたのが発見され、牧口の墓石も倒されていた。警視庁は学会に恨みを持つ者の犯行として捜査を行った[10]
著作

『人生地理学
』(文会堂、1903年刊)

『教授の統合中心としての郷土科研究』(以文館、1912年刊)

 『地理教授の方法及内容の研究』(1916年)


『創価教育学体系』(創価教育学会・冨山房、1930年 - 1934年刊)

『牧口常三郎全集』(東西哲学書院、1965年刊)

『牧口常三郎全集』(第三文明社、1981年 - 1997年刊)

参考文献

池田大作著『人間革命』(全12巻) 聖教新聞社 

美坂房洋編集兼発行『牧口常三郎』 聖教新聞社

『戸田城聖全集(全5巻)』 和光社

熊谷一乗著『創価教育学入門』 レグルス文庫第三文明社


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