牛久沼
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牛久沼周辺には浮田が散在する風景がみられたが、茨城県により河川改修と農地整備が進められた[3]

沼の東岸に沿ってJR東日本常磐線国道6号水戸街道)が通る。最寄り駅は龍ケ崎市駅・佐貫駅。市の鳥である白鳥が毎冬約40羽近く飛来する。また、オオクチバスが生息しており、食性調査が実施された[4]
流入河川

根古屋川


稲荷川

東谷田川

西谷田川

遠山川

流出河川

谷田川

江川

周辺の自治体

龍ケ崎市

牛久市

つくば市

取手市

つくばみらい市

故事来歴
牛になった僧侶伝説

金竜寺には「牛になった小坊主」という昔話が伝わり、牛久沼の名称はこの伝説に拠るとも言われる[5]

金竜寺のあるなまけ者の小坊主は、毎日の勤行(ごんぎょう)を怠ってゴロゴロ寝てばかり。とうとう小坊主は本当に牛になってしまいました。初めて恥を知った小坊主は、沼に入水(じゅすい)しようと決心して岸へ向かいました。しかし寺の住職は小坊主に同情し入水を止めようとして、水の中に入る牛のしっぽを握り引き戻そうとしました。ところが、しっぽはぶっつりと切れてしまったのです。牛はそのまま水底に沈んでしまいました。がっかりした住職は、手に残されたしっぽで払子(ほっす)を作りました。その払子は、今も寺宝として保管されています[5]
河童伝説

牛久沼には昔から河童伝説UMA)の伝説があり、牛久沼沿いの遊歩道は「牛久沼かっぱの小径」と命名された[6]。牛久市では愛称に河童を付けたものがいくつか見られる。

北畔に住んでいた日本画家の小川芋銭は多数の河童画を遺している。
うな丼「発祥の地」鰻丼

うな丼は「牛久沼が発祥の地」と言われており、牛久沼の周囲には現在でもウナギ(鰻)料理店が多く、特に東畔の国道6号は最盛期には8店のウナギ料理店が軒を連ねており、「うなぎ街道」として人気が高い[7][8]

牛久沼のウナギ料理店

東畔(うなぎ街道) - JR龍ケ崎市駅

桑名屋、伊勢屋、鶴舞家、山水閣

閉業:牛久亭、小名浜屋、水神屋、寺田屋


西畔周辺 - 牛久駅などからバス

岬食堂、大はし


北畔周辺 - 牛久駅

阪東、やす川


入地・市街 - 入地駅関鉄竜ヶ崎駅

なか川、いしがみ



縁のある有名人

小川芋銭 - 河童画で有名な画家。沼のすぐ近く(現在の
牛久市内)に住んでいた。

住井すゑ - 小川芋銭宅の近くに居住し、執筆活動を行っていた。

映像作品

男はつらいよ 寅次郎真実一路 - 渥美清が主演し、山田洋次が監督した日本映画のシリーズ34作目。沼畔の稲敷郡茎崎町(現在のつくば市森の里団地やその近くにある龍ケ崎市の茎崎橋がロケ地となった。

脚注[脚注の使い方]^ 国土地理院 (2015年3月6日). “平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積” (PDF). 2015年3月22日閲覧。
^ “ ⇒広報うしく 再発見・牛久第一話”. 牛久市. 2012年6月1日閲覧。
^ a b c 磯部一洋「茨城県牛久沼の生い立ちとその周辺の自然を探る」『地質ニュース 1986年4月号 No.380』、産業技術総合研究所地質調査総合センター、1986年。 
^ 新谷一大、渡邊精一「茨城県牛久沼におけるオオクチバスの食性」『水産増殖』第38巻第3号、日本水産増殖学会、1990年、245-252頁、doi:10.11233/aquaculturesci1953.38.245。 
^ a b “金竜寺のお話|龍ケ崎市公式ホームページ”. www.city.ryugasaki.ibaraki.jp. 2020年5月16日閲覧。
^ “ ⇒牛久沼 | 牛久市公式ホームページ”. www.city.ushiku.lg.jp. 2020年5月16日閲覧。
^ “牛久沼”. 観光いばらき. 2020年5月16日閲覧。
^ “うな丼発祥の地 龍ケ崎市の牛久沼(市内うなぎ専門店一覧)|龍ケ崎市公式ホームページ”. www.city.ryugasaki.ibaraki.jp. 2020年5月16日閲覧。

関連項目

牛久城

牛久陣屋

オオクチバス


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