片山潜
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1912年大正元年)9月、大正天皇即位の大赦[12]によって出獄。その後、1914年(大正3年)9月9日にアメリカへ亡命し1917年(大正6年)のロシア革命を切っ掛けとしてマルクス・レーニン主義に傾倒、アメリカ共産党、メキシコ共産党の結党に尽力するなど北米での共産主義活動を指導した。

1921年(大正10年)、ソビエト連邦に渡り、コミンテルン常任執行委員会幹部となる。国外にあって日本共産党結党の指導を行い、また国際反帝同盟を指導し反戦運動に従事した。晩年

任務の秘匿ができない人物であると同時に、あまりにも業務遂行が非効率であると判断されたため、数度の海外任務を経たのちはモスクワにとどめられた。晩年は重病だったことから二人の娘の世話になることが多く、既婚者だったことを報告すらされていなかったコミンテルンから不審に思われ結果として娘たちが後に粛清される一因になった。1922年1月22日、モスクワで開催の極東民族会議に片山・高瀬清徳田球一らが出席。

関東大震災直後の1923年(大正12年)9月16日に生じた大杉栄殺害事件(甘粕事件)について、山内封介から所感を問われ、「大杉一家殺害は、どうしても軍閥の私怨に基因するものとしか思われない」[13]などと語った。

1933年昭和8年)6月20日、モスクワで客死したクララ・ツェトキンの葬儀で、他の会葬者らと共に棺を担ぐ姿が新聞で報道。これが日本で確認できた生前最後の姿となった[14]。同年11月5日に入院先のモスクワ市内の病院で敗血症のため[15]死去。享年75(満73歳没)。9日に行われた葬儀には15万人のソ連市民やコミンテルン指導者らが集まった。棺に付き添った14人には、ミハイル・カリーニンヨシフ・スターリンヴィルヘルム・ピーククン・ベーラ野坂参三たちがいた。遺骨はクレムリンの壁墓所に他の倒れた同志たちと共に埋葬されたほか、脳は頭脳研究所の解剖学的材料にされた。なお、クレムリンの壁墓所に埋葬された日本人は潜が唯一である[16][17]青山霊園(1ロ14-13,16)にも墓碑がある。
親族長女の片山安子(右)と原信子(左)。ミラノ、1929年

実父の国平は、潜が3歳のときに離婚して僧侶となった[18]。潜は19歳で片山幾太郎の養子となったが復籍、37歳で片山常吉と養子縁組した[18]。妻の横塚フデ(筆子)は、岩崎清七の遠縁(実弟亀次郎の妻の親戚)で[2]、1897年に結婚し、1899年に長女やす(安子)、1901年に長男幹一をもうけた[18]。1903年にフデが死去したため、1907年に後妻として原たま(賜子)を迎え、翌年次女の千代が生まれる[18]

幹一は、フデ没後に岩崎の弟亀次郎や後妻のたまの実家で育ち慶応義塾大学予科に入学するも22歳で病死[2]

安子は大正初期に父とともに渡米し従姉にあたる原信子と知己になる。日本に帰国して仏英和女学校を卒業するも潜が亡命によって再度アメリカに出国すると父を追い、アンナ・パヴロワに師事、オペラ歌手として実績を積み上げていた原ともバレリーナとして共演をこなした[2]が、父の病状悪化に伴いソ連に入国。看病による過労でバレリーナの道を諦めるものの、父の死後に日本語講師となりながら日本共産党幹部でソ連に滞在していた伊藤政之助と結婚した。伊藤は大粛清の犠牲となったが、安子はスターリン批判後の1956年モスクワ大学アジア・アフリカ研究所に職を得、1958年からはソ日友好協会副会長として日ソ交流に大きく関わる。1988年に死去。

千代は昭和初期にソ連の父の許に赴き、身の回りの世話をしながら働いた[2]。同居している女性についてコミンテルンから問われた際には潜は娘だと説明していたが、コミンテルンは潜が既婚者だということすら把握しておらず、日本共産党でもこの「娘」の存在を把握していなかったことで千代を日本の秘密警察のスパイであると確信したとされる[19]。父の死後、千代は各地を転々としながら重労働に従事し、日本への帰国もかなわぬまま1946年にモスクワの精神病院で死去。

なお、比叡山大僧正から善光寺大勧進の院主となった水尾寂暁は潜の実弟[2]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 阿川尚之『アメリカが見つかりましたか(戦前篇)』都市出版、1998年。阿川によると、『渡米案内』という片山の『自伝』引用される書物よると、「日曜日に教会に行く機会を得遂に耶蘇教徒となると得たり」と記しているのに、『自伝』では「予は耶蘇教徒になっても熱したこともなく、冷めたこともなかった、アンドーヴァー神学校に学んだ時は聖書を八つ裂きにして研究もしたが、耶蘇に対して変わった感情も持たなかった。


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