爆笑問題
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この番組でネプチューン海砂利水魚をはじめとする当時キャブラーと呼ばれた若手芸人たちの出世頭となり、再ブレイクのきっかけをつかむ。『黄金ボキャブラ天国』では初代名人に。当時のキャッチフレーズは「不発の核弾頭」。

普段のネタは太田が書いているが、『ボキャブラ』のネタは田中がほとんど書いていた。そもそも田中が作っていたのはダジャレの部分だけで、そのダジャレを際立たせるコント部分は太田が作っていた。

2008年、コンビ結成20周年。2月発売の『Quick Japan』76号(太田出版)に吉田豪によるロングインタビューが掲載。また、テレビ朝日系で同年6月25日26日に「爆笑問題結成20周年記念 2夜連続特別企画」として、『今すぐ使える豆知識 クイズ雑学王』及び『爆笑問題の検索ちゃん』の2時間特番が放送された。

2018年にコンビ結成30周年。それを記念して8月30日31日9月1日の3日間開催された単独ライブ『O2-T1』では漫才を一切行わず太田の脚本によるストーリー性のある5つのコントのみで構成。「病院の待合室」「数字男」「二人の兵士」「医者と患者」「爆チュー問題」が披露され、それぞれ別個のコントでありながら一つ一つがストーリーとして繋がっていくスタイルを採用した[9][10]

受賞歴

1993年NHK新人演芸大賞受賞[11]

1994年GAHAHAキング 爆笑王決定戦10週勝ち抜き初代チャンピオン

1994年:日本映画プロフェッショナル大賞・新人奨励賞を太田光が受賞

1997年国立演芸場花形演芸会 銀賞受賞

1998年:国立演芸場花形演芸会 金賞受賞

1998年:ゴールデン・アロー賞芸能賞受賞

1999年浅草芸能大賞新人賞受賞

2000年:国立演芸場花形演芸会 審査員特別賞受賞

2000年:笑芸人大賞 銀賞受賞、ちなみに金賞はビートたけし

2001年:国立演芸場花形演芸会 特別大賞受賞

2003年:リスクコンサルタントオブザイヤー 特別賞受賞

2006年:万年筆が似合う著名人 芸能・ファッション部門を太田光が受賞

2006年:芸術選奨文部科学大臣賞放送部門受賞[11]放送部門のバラエティージャンルからは史上初の受賞となった。理由は「タモリ、たけし、さんまの存在が圧倒的な中、10年以上もポジションを得て常に成長しながら抜群の安定感を見せている」とのことである。この受賞は、受賞発表の直前に急逝した久世光彦の強い推薦によるものという。2人が進行するテレビ番組『爆笑問題のススメ』(札幌テレビ日本テレビ系、2005年12月10日深夜)に久世光彦がゲスト出演したことがきっかけで、久世が「あの2人にあげればいいじゃないか」と言い切ったといわれる。また、この時同時に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した人物に画家の和田義彦がいるが、その後和田は盗作疑惑で世間の耳目を集めることとなる。この盗作に関する一連のテレビ報道において使用された受賞者が正装して勢揃いした映像では、和田のすぐ後ろに爆笑問題の2人が立っている。

2007年ゆうもあ大賞を太田光が受賞

2008年:日本大学藝術学部 日藝賞受賞[11]

2012年喜劇人大賞特別賞受賞

2020年:第57回ギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティ賞受賞[12][13][14][15][16]

2020年:浅草芸能大賞奨励賞受賞

エピソード
大学時代

2人の出会いは日本大学芸術学部の試験会場であり、試験会場で試験官を茶化していた太田を見た田中は「関わり合いになりたくない」と思っていた(とはいえ田中は、どうせ合格出来ないだろうと思い、試験当日は直前まで草野球をしていたため、野球のユニフォームを着て受験に臨んでいた[17])。入学後、大学のトイレで再会し、「こいつも合格していたのか」と思い太田に話しかけた所、太田は受験会場の様子とは全く違い、律儀な受け答えをしていた。また、太田が入学後の最初の授業でも騒いで他の生徒達を盛り上げたが、田中はその雰囲気に乗らなかった。また、お互いにサザンオールスターズのファンということも仲良くなるきっかけの一つだったため、田中は「サザンがいなかったら? おそらく爆笑問題は誕生していないですね。まず太田と仲良くなってたかどうかが危ういんで。友だちの延長上に爆笑問題がありました」と語っている[18]

日本大学芸術学部時代の取得単位は、2人合わせて17単位だった。しかも太田は2単位しかとっておらず、そのうち1つはスキー合宿の参加者全員にもらえる単位だった[19]。太田は後に、日芸の教授を「俳優になろうとしてなれなかった奴らの溜まり場。俳優を育てようなんてなんも思っちゃいない」と批判しては、講義を欠席していた。

元マネージャーは2人の同級生で、18歳の時から30年近い付き合いだった[20]
プライベート

プライベートでは田中は太田を「光」と呼び、太田は田中を「小僧」と呼ぶ。田中が仕事のときに太田を「太田さん」と呼ぶのは仕事とプライベートの区切りをつけるためであり、太田が田中を「小僧」と呼ぶのは、「田中」では誰のことかわからないと感じているため[21]

また、お互いはごく近所に暮らしている(太田は「田中がこっちに引っ越してきたんだ」と冗談として言い[注釈 3]、田中は「お前が俺の生まれ故郷(東京)にやってきたんだろ」と突っ込むやりとりをする事が多い[注釈 4])。

2人ともSNSなどを利用しておらず、太田に至っては携帯電話を所有していないため「やる理由がない」と述べている[22]

2人とも自動車運転免許を持っていない。田中は過去に免許取得を検討していたが光代社長の反対によって断念している[23][24]。また、太田は大学時代にバイクの免許及びホンダ・VT250Z[25]を持っていたが自損事故を起こしている[26]

運転免許が無いため移動の際は事務所が送迎車を用意しており、両者とも一日の全ての仕事が終了すると自宅へ直帰する[24]

2人とも酒が飲めない[27]

2人のプライベートでの生活態度・習慣及び光代の危機管理能力が功を奏し後述の通り多くの仕事のオファーを引き受けている[24][27]
嗜好

2人とも好きであるが、ペットのかわいがり方は異なり、溺愛する田中に対して太田はほとんど構わない。そのため互いの猫の性格も違い、来客にまとわりつくような田中家の猫に対して、太田家の猫は来客には絶対に近寄らない。

2人は佐野元春とサザンオールスターズの話題になると、必ずどちらの方がより良いファンかと張り合っている。
芸能活動

コンビ名の由来はラテ欄でよく使用されるフレーズ「爆笑」と、本屋でたまたま「問題実話」と言う本を目にした際、タイトルに「問題」と入れていたことが印象に残っていたことから太田が命名。また、カタカナ名のコンビが多いため目立とうとしたのも理由の一つであることが太田の自伝『カラス』(小学館)に記されている。「カラス」は一時期コンビ名を変えようと考えていた時、候補に上がっていた言葉である。前述の通り、コンビの(名目上の)リーダーは田中であるが、それを決めたのは太田である[1]


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