熱素
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また、ラプラスとゲイ=リュサックも共同で、ドルトンとは独立に同じことを見出した[28]。一方で、液体や固体の場合は、膨張率は物体によって異なる。気体と液体・固体のふるまいが異なる理由について、ドルトンとゲイ=リュサックはどちらも、気体の場合は分子の形や分子間の引力などの影響を受けにくく、その分熱の力が際立って見えるからだろうと推定した[29]

このことからドルトンは、本来のカロリックの量を測るためには、従来の水銀温度計とは異なる指標が必要だと考えた。ドルトンが支持していたアーヴィン流のカロリック説によれば、温度が上昇し物体が膨張すると、熱容量が大きくなる。すなわち、低温の時に比べて、温度を1度挙げるのに必要な熱の量は多くなる[30]。ドルトンは1827年に出された著書『化学哲学の新体系』において、この点を考慮に入れた新しい温度目盛りを発表した[31]

ピエール・ルイ・デュロンとアレクシ・テレーズ・プティも、カロリックの量を基準とした温度目盛を作ることができるという立場に立ち、水銀、銅、白金、ガラスといった物質で、0℃から100℃までの比熱と、0℃から300℃までの比熱を測定した。その結果、比熱は温度をあげると増加し、そしてその増加の割合は物質によってまちまちであることが確かめられた。カロリックの量を基準とした温度目盛を作るには比熱が一定になるように目盛をつければよいが、その比熱の上がり方が物質によって異なるため、このような温度目盛を作ることはできないことが明らかになった[32]
説の統一と完成ラプラス

フランス学士院は1812年、カロリック説の中のアーヴィン流とラプラス流の対立を解決すべく、気体の比熱に関しての懸賞論文を募集した。そしてそれに採用されたドラローシュとベラールの共同論文によって決着した。アーヴィン流では、発熱反応では反応前の熱容量よりも反応後の熱容量の方が小さくならなければならないが、ドラローシュとベラールの実験では、それとは逆の結果が得られたのである[注釈 5]。よって、以降はラプラス流のカロリック説が主流となった。

ラプラスは、1823年の著書『天体力学』において、私は、気体の分子はその引力によって熱素を保持し、その相互間の斥力は熱素の分子の斥力に負うと仮定する。その斥力は、温度が上昇するさいの気体の弾性の増加から明らかである。そして私は、その斥力はきわめて短い距離でしか作用しないと仮定する[33]

と記し、この前提のもとに、実際の測定結果に合うよう、カロリック説の理論を作り上げていった[34]。また同じ時期にポアソンも、断熱変化の研究からポアソンの法則を導き出すなど、ラプラスと同様に解析的熱量学を発展させた[35]

1824年ニコラ・レオナール・サディ・カルノーは『火の動力』を著し、カロリック説を元にカルノーサイクルを提示した。そして、『熱の動力は、それをとりだすために使われる作業物質にはよらない。その量は、熱素が最終的に移行しあう二つの物体の温度だけで決まる。[36]』という、カルノーの定理を発見した。これらの理論の多くは、カロリック説が否定された現在でも有効である。ラプラス、ポアソン、カルノーの研究が、カロリック説における熱学の到達点であった。
熱の波動説の登場トマス・ヤング

カロリック説を前提とした熱現象の理論構築が進められていく一方で、18世紀の終わりごろから、熱放射に関する研究が盛んになっていた。熱の伝わり方としては伝導、対流、放射の3つがあるが、熱放射は熱伝導や対流とは異なり、離れた2点間に直接熱が伝わる。この現象に関しては、カロリックが物体から直接放射されることによって熱が伝わっているとする説と、物体の間にあるカロリックが振動することで伝わっているという2つの考え方があり、その中でも前者が多くの支持を得ていた[37]

一方でこの熱放射に関しては、古くから光との類似性が指摘されていた[38]。そして1800年ウィリアム・ハーシェルは太陽光をプリズムで分け、波長ごとの熱作用の力を調べる実験を行った。その結果、青色の波長から赤色の波長へと近づくごとに熱は強くなり、さらに赤色の波長を越えたあたりに熱は最大になること(赤外線)が確かめられた[39][40]。この実験により、放射熱と光の類似性は確かなものとなった。

ハーシェルの実験に着目したのがトマス・ヤングだった。ヤングはハーシェルの実験と同じ年に、光の波動説を唱えた。さらにヤングは熱に関するランフォードの研究に賛同し、熱は摩擦によって無から生み出されるのだから物質ではないとした。そして熱は光や音と同じように、粒子の振動によって伝わってゆくものだと論じた[41]

当時、光については、この波動説と、ニュートン、ラヴォアジエからの流れをくみ[42]、ラプラスらによっても支持された[43]粒子説が対立していたが、1820年代には波動説が優勢となり、1830年ごろにはその優位は決定的なものになっていた[44]。そしてそれに伴って、熱波動説も支持されるようになってきた[44][45]。ゲイ=リュサックも1820年の講義で、熱の原因はカロリック説と波動説があることに触れたが、波動説はまだすべての熱的現象を説明できていないため、自身としては旧来のカロリック説を維持すると述べた[46]。一方でカルノーは、『火の動力』執筆後まもなくに書かれたノートでカロリック説を否定し、熱の運動説へと傾いていた。またジョゼフ・フーリエは、1822年に著書『熱の解析的理論』にて熱伝導の方程式などを導いたが、そこでは熱の本質を断定せず、どちらの説でも成り立つように理論を構成した[47][48]
説の否定ジュールによる実験装置

熱とは物質が振動することによって波動として伝わってゆくものだとする熱の波動説の支持者に対して説明が求められたのは、熱を伝える物質のない真空中でも熱が伝わるという事実だった。この事実は、熱は通常の物質とは異なるものだとするカロリック説に有利なものだとされていた。熱波動説の支持者は真空中にはエーテルが存在していて、それが振動によって伝わると説明した[49]

やがて熱波動説が受け入れられていくと、カロリック説の支持者のなかには、このエーテルの概念をカロリックにあてはめることもあった。すなわち、熱はカロリックが振動することで伝わるとする考えである。このように、カロリック説の支持者のなかでも、カロリックの定義は大きく分かれるようになっていった[50]。そのような中でも、説の支持者の間で見解が統一されていたのが、カロリックの存在、及びその量が保存するという熱量保存則であった[51]。したがって、熱量保存則が成立しない事象(熱による仕事の創出、仕事による熱の創出)についての定量的な論展開が必要であった。

このような中で、1843年ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤーは、運動のエネルギーが熱に、あるいは逆に熱が運動のエネルギーに変わり得ることを明らかにした。1845年ジェームズ・プレスコット・ジュールは、実験を元に熱の仕事当量を算出した。また1847年ヘルマン・フォン・ヘルムホルツも、熱と仕事の等価性について論じた。このような一連の研究により熱力学第一法則(エネルギー保存の法則)が確立されると、この法則が熱量保存則では説明できない事象も含む広い範囲で成立することが明らかになり、熱量保存則に立脚していたカロリック説はその意義を失った。その後、熱が分子の運動であるとする熱の分子運動論が建設されるとともに、また熱力学の成立とともに熱素説は消滅した。
カロリックの性質

カロリックの性質は、時代や当時の科学者によって見解が異なる。ラヴォアジエらによれば、基本的には以下の性質を持つ[52]

カロリックは互いに反発する

カロリックは他の粒子に引き付けられる。カロリックを引き付ける力の大きさは、その物質によって異なる

カロリックは質量を持たない

カロリックは、物質粒子と化学的に結びつくと、知覚されなくなる

カロリックは壊されることも、新たに作られることもない

熱現象の解釈

カロリック説が信じられていた当時は、様々な熱的現象がこの説を元に説明されていた。
熱膨張

物体に熱を加えると膨張する。これは、物体内のカロリックの量が増え、その斥力により物体を押し広げたからだと説明できる[53]
三態

固体に熱を加えると、やがて液体気体になる。これも熱膨張と同様に、カロリックの増加で説明できる。

ラヴォアジエによると、物体の状態は、粒子同士をつなぎとめる力(引力)と、引き離す力(斥力)の力の関係性で決まる。そして、斥力に当たるものが熱(すなわちカロリック)である。固体は引力の方が勝っているのでその形状を保っている。熱が加わる(すなわちカロリックが増える)と、カロリックの性質である反発力により物体の斥力が増し、物体は液体となる。さらにカロリックが増えると斥力は完全に引力を上回り、物体は気体となって拡散する[54]
比熱・熱容量

同体積の水と水銀を、共通の熱源から等しい距離に置き、同時に温めると、水銀の方が温度が早く上昇した。これはジョージ・マーチンが1739年に行った実験である。また、ファーレンハイトは、温度の異なる水と水銀を混合させると、混合したときの温度は両者の中間ではなく、それよりも水に近い温度になるという結果を出している[55]。すなわち、水銀は水よりも温まりやすいことになる。


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