熱田駅
駅舎(2008年4月)
あつた
Atsuta
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所在地名古屋市熱田区森後町二丁目502.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度7分47.913秒 東経136度54分36.237秒 / 北緯35.12997583度 東経136.91006583度 / 35.12997583; 136.91006583
熱田駅(あつたえき)は、愛知県名古屋市熱田区森後町2丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の駅である。駅番号はCA65。
運行形態の詳細は「東海道線 (名古屋地区)」を参照。 1886年(明治19年)3月に開業した[2]。熱田宿や熱田神宮があったことにより、熱田は古くから賑わった。熱田駅の設置された頃は、周辺が葦だらけの名古屋駅に比べれば、当駅は遥かに名古屋の玄関としてふさわしいものであった。しかし1913年(大正2年)に愛知電気鉄道(後の名古屋鉄道)の神宮前駅が近くに設置されると、列車本数が劣勢だったことなどから賑わいを奪われて、次第に寂れていくようになる。かつては当駅と名古屋駅との間に駅はなく、有料急行が運転されている時代は一部の急行列車が、それ以降は快速列車が停車していたが、隣の金山駅が1989年(平成元年)に総合駅として整備されると、その地位を譲った。ただし、熱田神宮が最寄りに所在するため、正月三が日(曜日配列により直後の休日を含む)の快速系列車の臨時停車は、2022年(令和4年)現在も行われている。 残された広い構内や留置線は、名古屋駅や金山駅の設備に収容できない回送車両(もっぱら朝夕混雑時用の車両や北陸・高山方面の特急列車用車両)の回送先および待機場所として使用されている。例えば特急「しらさぎ」用の車両は、名古屋駅 - 当駅間を回送し、ここでリネン交換などの車内整備を行う。 武豊駅を起点とし、「半田線」などと呼ばれた路線の終着駅として1886年(明治19年)3月に開業した。熱田は東海道五十三次最大の宿場町であり、駅は町の東側にあった。現在地より南に約1.57km(北緯35度6分58.6秒 東経136度54分57.0秒 / 北緯35.116278度 東経136.915833度 / 35.116278; 136.915833 (熱田駅(初代)) 1896年(明治29年)に熱田駅は熱田神宮近くの現在地に移転した。移転に伴い熱田港から離れたが、精進川(後の新堀川)への運河を建設し、港との連絡を図った。この運河は、その後の名古屋港駅や白鳥駅の開業により利用が減少し埋め立てられた。 駅の移転に伴い建設された2代目の駅舎は太平洋戦争中の1945年(昭和20年)5月、熱田空襲に遭い焼失した。この日の空襲では、熱田神宮の社殿や笠寺駅駅舎なども焼失した。1947年(昭和22年)6月に3代目の駅舎が建設され、1982年(昭和57年)10月に4代目の現駅舎に改築された[4]。 開業時より鉄道貨物輸送の拠点駅の一つであり、有蓋車用車扱ホームが駅構内に設置されていたほか、日本車輌製造本社工場[5]や内外輸送名古屋支店、中京倉庫
概要
歴史
1970年代には、逼迫する名古屋駅の機能分散のため、当駅構内に大規模な小荷物取扱施設が設置され、名古屋駅の小荷物機能が移転した。小荷物取扱は1986年(昭和61年)11月までに廃止となったが、この施設を転用して1980年代後半から1990年代には当駅が「カートレイン」の名古屋地区の始発・終着駅となっていた。