熊倉一雄
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血液型A型[6]
職業俳優声優演出家
ジャンルテレビドラマ映画舞台アニメ吹き替え
活動期間1951年 - 2015年
配偶者あり
所属劇団テアトル・エコー(最終所属)[6]
主な作品
トラヒゲ(『ひょっこりひょうたん島』)
エルキュール・ポワロ(『名探偵ポワロ』)

 受賞
紫綬褒章
勲四等旭日小綬章
紀伊國屋演劇賞
NHK放送文化賞

備考
ゲゲゲの鬼太郎主題歌を歌唱
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熊倉 一雄(くまくら かずお、1927年昭和2年〉1月30日[1] [2][7] - 2015年平成27年〉10月12日[5][8][7])は、日本俳優声優演出家テアトル・エコー所属で[6][2]、生涯に渡って代表取締役演劇担当を務めていた。
来歴

東京府東京市麻布区(現・東京都港区)三ノ橋出身[3][4]。父は工作機械のセールスマン[3]。母方の祖父はの会社の技師長[3]青山で1年ほど暮らして、5歳の時、一家は下町、東京府東京市京橋区入船町(現:東京都中央区入船[注釈 1]に越して父の両親と同居[3]。この町で小学校時代を送っていたが、元々虚弱体質であり、小学2年生の時に肋膜炎を罹り3ヶ月ほど自宅療養し、本ばかり読んでいた[3][4][7][9]。将来は発明家になりたいと考えており、エジソンが好きだった[3][7]。旧制東京府立第八中学校(現・東京都立小山台高等学校)に進学する頃に父が米国企業に転職し、家計は楽になり、一家は再び山の手の東京府東京市大森区大森(現:東京都大田区大森)に転居[3]。中学5年生の時、 旧制第二高等学校(現・東北大学)を受験するも失敗し、慶應義塾大学経済学部予科に進学[3][7]1944年、授業など殆どなく、栃木県へ援農(勤労動員)に行ったり、東京都品川区大崎の工場でボールベアリングを作ったり、三交代制で飛行機を作らされる毎日に嫌気が差して秋に中退[3][7]。翌年4月、外交官を志して旧制都立高等学校文科(後の東京都立大学 (1949-2011)、現在の首都大学東京)を受験し、進学[3][7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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