熊倉一雄
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このドラマ出演をきっかけに再び俳優業に興味を持つようになり、日本テレビを退社し、劇団東芸に戻り、俳優活動を再開する[7][11]

1956年9月、テアトル・エコー[15]へ入団[6]。翌1957年にアルバイトで海外ドラマ『海賊船サルタナ』のアテレコの仕事に出演して声優としての活動を始める[7][9]。同年に日本テレビで放映された『ヒッチコック劇場』で、元社員であった縁でキャスティングプロデューサーとして声優のキャスティングを担当[11]アルフレッド・ヒッチコックは放映開始当時、スーパーインポーズで吹き替えはなし)。担当ディレクターに、ヒッチコックの吹き替えに適当な役者がいないと相談したところ、熊倉本人に吹き替えを担当するように指示[11]。これが熊倉の声優としての最初の成功作となる。以後数々の作品に声優として出演する。アニメでのデビューは『ポパイ』のブルート役[7]。プレーヤーズセンターに所属していた時期もある[2]

1968年には『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌を歌い、キングレコードのヒット賞を受賞[11]

ディズニーの長編アニメの吹き替えも複数担当していた。

テアトル・エコーでは演出家を兼ねて指導的立場となり、1969年には『ひょっこりひょうたん島』『ブンとフン』などテレビ・ラジオでの協業が多かった放送作家・井上ひさしにデビュー戯曲(実際はこれ以前に雑誌掲載のみの習作もある)『日本人のへそ』の執筆を依嘱。ブレヒト風の歌入り芝居に風刺と推理劇を盛りこみ、二重三重の劇中劇が入り組む前代未聞の作となり、主演と演出を兼ねての公演はセンセーショナルな成功を収める。以後、作・井上ひさし、演出・熊倉一雄のコンビは数年にわたって話題作を連打し日本の演劇界の話題を集め続けた。1977年には『日本人のへそ』映画版にも出演したが、ハナ肇とともに原作にない劇中劇の照明係(そのため出番が少ない)という扱いでのゲスト出演であり、熊倉が初演等の舞台で演じた役はなべおさみに譲られた。井上が大劇場へ転じてからはニール・サイモンなど翻訳喜劇を多く取り上げている。1991年紫綬褒章受章、1998年勲四等旭日小綬章受章、1998年紀伊国屋演劇賞個人賞受賞、2015年NHK放送文化賞受賞[16]

2015年10月12日午後3時24分、直腸癌のため都内の病院で死去[5]。満88歳没(享年89)。2014年11月に行われた舞台「遭難姉妹と毒キノコ」が最後の出演となった[8]
人物

声優としての当たり役にはヒッチコックのほか、1990年から日本で放送が開始されたテレビドラマ版の『名探偵ポワロ』のエルキュール・ポアロデヴィッド・スーシェ)の吹き替えがあり、熊倉のライフワークとなっていた。

ひょっこりひょうたん島』(トラヒゲ)、『ばくさんのかばん』(ばくさん)でも知られる。

愛称はクマちゃん[7]

高校時代は音楽部に所属していた[7]ピッコロを担当したり、中学時代の仲間が結成した未完成室内楽団に入部してもらったりしていた[3]
エピソード

山田康雄納谷悟朗等を自らテアトル・エコーにスカウトしており、誘われた山田は「熊ちゃんは人拐いだった」と称している。

神谷明は熊倉の三枚目の演技と歌唱に感銘を受け、後に『キン肉マン』で主人公キン肉マンを演じる参考になったと語っている[17]

2012年に、BSプレミアムで放映された『名探偵ポワロ』の新シリーズの吹き替え収録でのプレマップのインタビューの際には、「ポワロにはまだまだドラマ化されていない作品が残っておりますので、私もこれからも頑張ってやっていきます」と、これからもポワロの吹き替えを続けていく意気込みを語った(ポワロを演じているデヴィッド・スーシェも「全ての作品を演じるまでは続けていく」と語っている)。そして、2014年の最終シリーズ放送に際して行われたインタビューで、「この吹き替えの仕事だけは誰にも渡したくないと思っていたが、生きているうちに最後まで吹き替えられるか心配だったため、無事に完遂して仕事を果たした気持ちになった」と語った[18]

『名探偵ポワロ』の吹き替えで共演したミス・レモン役の翠準子とは長く同じ劇団にいたため古い付き合いで、ジャップ警部役の坂口芳貞とは酒を酌み交わす仲だという。一方、シリーズ途中でヘイスティングス大尉役の富山敬が死去したことに対して「辛かった」とも述べた[18]


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