無限軌道
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クローラのピンを左右にも折れ曲がるように接合した方式。イギリスMk.VIIテトラーク軽戦車など一部車両に使用された。ステアリング型の装甲車にも巻けるクローラとして開発され、前輪を左右に振る車輪に同期させるため、履帯自体も左右に折れ曲がるように設計されている。しかし強度が劣り許容荷重が低いため一般化しなかった。
建設機械等
ローラーチェーンのように組み上げられたリンクアッセンブリに多数の履板(シュー)を取り付ける方式。シューの形状は、乾地用では地面に食い込むように断面がT字型、泥濘地湿地用では断面が三角形[2]。また、舗装路を傷めるのを防ぐため、履板一枚一枚にゴム製のパッドを装着する場合がある。
転輪
大型転輪
BT戦車T-34T-54/55T-62など第二次世界大戦中から戦後しばらくのソ連戦車によく見られる転輪。イギリスのカヴェナンタークルセーダークロムウェルなどの巡航戦車陸上自衛隊74式戦車でも採用された。転輪上部で上側の履帯を支える(LT-38のように大型転輪を採用しなおかつ上部支持転輪も持つ車輛も存在する)。高速走行時に有効とされるが、転輪の装着数が必然的に少なくなり、転輪間の幅が大きくなるため不整地走行性能に難がでる。履帯幅の延長などで改善が可能。また、高速走行時に上側の履帯が振動で破損しやすい。なお、古い資料ではこの転輪形式を「クリスティー方式」と呼ぶこともあったが、正確にはサスペンションの形式を指すもので、転綸のサイズや上部支持転輪の有無は無関係である。
小型転輪
戦車の登場初期より存在した転輪方式。小さな転輪を数多く装着することで、転輪間の隙間を小さくでき、不整地走行性能が向上する。しかし、速度性能に限界が生じ、高速度を求める車両には向かない。チャーチル歩兵戦車が代表例。
中型転輪
大型と小型の良いところを妥協してとった大きさの転輪。上側の履帯を支えるための小さな上部支持転輪を持つ。両者の中間程度の可もなく不可もない性能で、現在主流の戦闘車両用転輪形態として落ち着いている。
挟み込み転輪・千鳥式転輪
大型転輪と小型転輪の良いところをすべて盛り込もうとして開発された。中型もしくは大型転輪を交互に左右半重ねにして配置したり、一個と二個を交互にはさみ重ね合わせるようにした形態の転輪である。これにより転輪の間隔を小型転輪並にし、不整地性能の向上を期待することができるうえ、高速高機動かつ大型の車体が製造可能な特徴を持たせようとした。しかし、破損した奥の転輪を交換する際に手前の無傷の転輪も外さなければならないこと、加えてトーションバーに損傷を受けた場合交換にはさらに煩雑さが増すこと、細かく入り組んだ転輪の隙間に泥などが入り込みやすく冬季には凍結しやすくなるなど、メンテナンス上重大な問題があり、なおかつ、接地圧の解消にはそれほどの結果を出せなかった。第二次世界大戦後期にドイツが生産したパンター中戦車ティーガー重戦車や各種ハーフトラックで挟み込み転輪、パンターIIやEシリーズで千鳥式転輪が採用されたが、大戦終結以後この形式を使う車両で実際に製造されたのはフランスのAMX-50を除けばほとんど存在しない。(そのAMX-50も最終的に戦力化は断念されている。)
動輪
起動輪(スプロケット・ホイール)
動力軸と繋がっている車輪。歯車状になっていて履帯と噛みあって動力を伝達する。エンジンが後部にあることにあわせて後端が起動輪であることが多いが、前端に存在する車両もある。
遊動輪(アイドラー・ホイール)
起動輪と反対側の端に位置し、位置を前後させて履帯の張り具合を調整する。金属履帯は使用と共に接続ピンと周辺の磨耗により伸びてくるため、調整が必要になる。
誘導輪(フロントアイドラ)
前方に配置された遊動輪の事をこのように呼ぶことがある。
歴史Lombard Steam Log Hauler(1901年特許取得)ホルト75型トラクター,1914年頃Hornsby製トラクター

1770年代、リチャード・ロヴェル・エッジワース(英語版)が原始的な無限軌道を設計した。1830年代にはポーランドの数学者で発明家のハーネー=ウロンスキーが同様のアイデアを思いついている[3]イギリス博学者ジョージ・ケイリー卿は無限軌道の特許を取得し、それを「万能鉄道 (universal railway)」と呼んだ[注 1]1837年ロシアの発明家 Dmitry Zagryazhsky は「移動式軌道つき車両」を設計して同年に特許を取得したが、資金がないために実働するプロトタイプを製作できず1839年に特許を取り消した。一種の無限軌道を使った蒸気機関トラクター1850年代クリミア戦争で西側勢力に使われていたという報告もある。1846年、イギリスの技術者ジェームス・ボイデル[注 2]が無限軌道 (endless railway wheel) の特許を取得した。

実用的な無限軌道の車両であるロンバード蒸気式木材牽引車(英語版)を発明し製作したのはアルヴィン・ロンバード(英語版)で、1901年に特許を取得した。彼は同年、メイン州ウォータービルで蒸気機関を動力にした木材牽引車を製作した。1917年までに83台を製作し、その後内燃機関に切り替え、1934年にはフェアバンクス・モース製ディーゼルエンジンを採用した。装軌車両の商業化という意味ではアルヴィン・ロンバードが疑いもなく世界初である。ロンバードの蒸気機関車は、現在も実働するものが少なくとも1台存在する[4]。ガソリンで駆動するものがオーガスタのメイン州立博物館に展示されている。

さらに、ロンバードからライセンス供与を受けてフェニックス・センチピード(英語版)が製作したものが倍以上あり、こちらはシリンダーを垂直に配置していた。1903年、ホルト・マニュファクチャリング・カンパニー(英語版)(以下ホルト社)の創業者であるベンジャミン・ホルト(英語版)はロンバードに6万ドルを支払い、ロンバードの特許を使った車両製作権を得た。ロンバードがカリフォルニアに移住した後もなんらかの合意があったと見られるが、この権利関係がどう決着したのかは定かではなく、それぞれの記録に若干の食い違いもある。

日本では、富山出身の高松梅治が19世紀末頃に無限軌道を考案し、明治44年(1911年)に欧米8か国に特許申請し、国内では農商務省の特許を取得した[5][6][7][8]

同じ頃、イギリスのリンカンシャーにあった農機具会社のリチャード・ホーンズビー・アンド・ソン(英語版)社は、1905年装軌車両の特許を取得し開発を行っていた。発明者は同社のデビッド・ロバーツ[9]である。その設計はそれまでのものとは違い地面に接地したソリや車輪で操舵する代わりに、履帯をロックして操舵するようになっていた。ホーンズビーの装軌車両は1905年から1910年にかけて、砲兵トラクターとすべくイギリス陸軍が試験的に用いたが、正式採用されなかった。特許はホルトが買い取った。ホーンズビーの装軌車両は履帯の操作方式が現代の装軌車両と基本的に同じスキッドステアであり、その動作する様を見たイギリス軍兵士が毛虫 (caterpillar) のようだと皮肉った。後にホルトは抜け目なく「キャタピラー」を商標とした。

合併と名称変更を経てホルト社は1925年キャタピラー社となった。キャタピラー社製装軌車両は建設用車両や陸戦用車両に革命を起こし、戦闘用車両として使われるうちに無限軌道の改良が進んだ。第一次世界大戦時、イギリス軍やオーストリア・ハンガリー軍がホルトの装軌車両を重砲の牽引用に使い、いくつかの国では戦車の開発が活発化した。イギリスが開発した世界初の戦車であるマーク I 戦車はホルトの装軌車両に着想を得てはいるが、一から設計されていた。しかし、そのすぐ後にフランスドイツで開発された戦車はホルトの装軌車両を改造したものだった。
舗装路への影響マルダー歩兵戦闘車の履帯。
踏面に黒く見える部分がゴムパッド。

ゴムクローラでは問題とはならないが、従来型の鉄クローラで舗装路を走ると、舗装を傷める恐れがある。また平滑な路面ではクローラー踏面との摩擦力が下がるため、高い速度での走行中に舵を切るといった場合にスリップする恐れもある。加えて走るのに必要なエネルギーが大きく、舗装路上では装輪車両に比べると著しく燃費が悪い。さらに公道を走るにあたってはクローラで走ること自体が規制に抵触する[注 3]、コストや仕様上の理由でナンバーを取得していない、といった場合もあり、建設機械が移動する際は、単車トラック又は低床式トレーラー型の重機キャリアに載せて運ぶことになる。

戦車をはじめとする装軌式の装甲戦闘車両も、戦車運搬車に搭載して移送することが多い。


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