無錫
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錫山区恵山区浜湖区梁渓区新呉区江陰市宜興市太湖

年表

この節の出典[1][2]
蘇南行署区無錫市

1949年10月1日 -
中華人民共和国蘇南行署区無錫市が発足。一区から三区までの区と無錫県が成立。(3区1県)

蠡湖1952年11月15日 - 江蘇省の成立により、江蘇省無錫市となる。

江蘇省無錫市

1953年1月1日 - 市内行政区域の再編により、一区から八区までの区 が成立。(8区1県)

1953年2月6日 - 無錫県が蘇州専区に編入。(8区)

クリックタワー1953年3月27日 - 蘇州専区無錫県の一部が六区・七区に分割編入。(8区)

1954年6月2日 - 蘇州専区無錫県の一部が六区に編入。(8区)

1955年5月27日 - 六区・七区・八区が合併し、六区が発足。(6区)

1955年7月12日 - 一区が崇安区に、二区が工運区に、三区が南長区に、四区が西新区に、五区が北塘区に、六区が郊区にそれぞれ改称。(6区)江陰長江大橋

1957年3月15日 - 蘇州専区震沢県の一部が郊区に編入。(6区)

無錫博物院1958年6月 (4区)

工運区が崇安区に編入。

西新区が南長区・北塘区に分割編入。


1958年7月6日 - 蘇州専区無錫県を編入。(4区1県)

1958年7月8日 - 郊区が無錫県に編入。(3区1県)

1958年10月 - 蘇州専区常熟県の一部が無錫県に編入。(3区1県)

1960年5月 (4区1県)

無錫県の一部(旧・郊区)が分立し、太湖区が発足。

無錫県の一部が崇安区・南長区・北塘区に分割編入。


1961年2月 - 無錫県の一部が北塘区・太湖区に分割編入。(4区1県)

1961年7月20日 (4区1県)

無錫県の一部が太湖区に編入。

太湖区・北塘区の各一部が無錫県に編入。


1962年9月25日 - 無錫県が蘇州専区に編入。(4区)

1963年7月 - 太湖区が郊区に改称。(4区)

1968年3月21日 - 崇安区が崇武区に改称。(4区)

1978年8月25日 - 崇武区が崇安区に改称。(4区)

1980年7月 - 郊区の一部が分立し、馬山弁事処が発足。(4区1弁事処)

1983年1月18日 - 蘇州地区江陰県・無錫県、鎮江地区宜興県を編入。(4区3県1弁事処)

1983年7月7日 - 馬山弁事処が郊区に編入。(4区3県)

南長街1987年4月23日 - 江陰県が市制施行し、江陰市となる。(4区1市2県)

1987年12月22日 - 郊区の一部が分立し、馬山区が発足。(5区1市2県)

1988年1月9日 - 宜興県が市制施行し、宜興市となる。(5区2市1県)

1994年7月17日 - 無錫県の一部が郊区に編入。(5区2市1県)

1995年6月8日 - 無錫県が市制施行し、錫山市となる。(5区3市)

2000年12月21日 (6区2市)

錫山市の一部が分立し、錫山区恵山区が発足。

馬山区および錫山市の残部が郊区に編入。

郊区が浜湖区に改称。


2002年1月30日 - 浜湖区の一部が南長区・北塘区・崇安区に分割編入。(6区2市)

2015年10月13日 (5区2市)

崇安区・南長区・北塘区が合併し、梁渓区が発足。

錫山区・浜湖区の各一部が合併し、新呉区が発足。


経済無錫民族工商業博物館

無錫は江蘇省南部の経済の重要都市である。市の発表によると、2022 年の無錫市の GDP は 1 兆 4,850 億 8,200 万元に達し、比較可能な物価に基づいて前年比 3.0% 増加し、常住人口に基づいて計算した一人当たり GDP は 19 万 8,400 元に達し、市の年間一般財政収入は1133.38億元。

無錫は清代末期に中国で最も早く民族資本が形成された都市のうちの一つであり、現在では外資の誘致でも中国有数の実績を持つ。無錫市は新区に市内最初の経済開発区「新区開発区」を設置したが、現在までにソニーパナソニックグループ、シャープ東芝日立マクセル村田製作所コニカミノルタニコンアルプス電気住友電工など日系企業や、アメリカのハードディスクドライブ最大手シーゲート社や台湾の家電メーカー東元電機などの大型工場、物流倉庫などが多数稼動している。また隣接する濱湖区にも経済技術開発区を建設し多数の投資を誘致している。

特に無錫と日本との関係は密接で、2003年段階で1,000社を超える企業がすでに進出し、投資総額でも30億ドルに迫る勢いである。これは江蘇省に対する日本からの投資の半分を占め、省都南京をはるかに越え、蘇州を上回り上海に迫るものである。湖などに接する恵まれた自然環境、比較的よい治安、上海の港湾や空港からの近さ、『無錫旅情』(後述)などで日本でも名が知られ、対日感情もさほど悪くないことが要因として挙げられよう。太湖新城の金融街(2020年撮影)

その他台湾、香港、欧米諸国など多くの国からの投資もあり、2002年末までに無錫市が認可した外国からの投資は累計7,000社弱、契約ベースでの投資額は220億ドルに登り、世界各国の有名企業による1億ドルを超える大型案件も多数含まれる。

市の調査(2002年)によれば、現在でも産業の大きな割合(24%)を占めるのが繊維産業で、25%がその他工業であるという。その他伝統産業では、宜興市は大理石石灰岩、陶土の採掘で知られ、茶器など陶器生産が盛んである。恵山区などでは、土産物の泥人形(恵山泥人)の阿福・阿喜人形などが有名である。農業は、大型工業団地建設など工業化・人口増加に伴い年々耕地が減少しているが、その分、付加価値の高い商品作物にシフトして生産額を高めようとしている。
商業Center 66Center 66

無錫は、中国東部の重要な商業の中心地として、そのユニークな地理的位置と歴史的背景で常に有名である。 無錫の商業発展には長く繁栄した歴史があり、地元の経済社会発展に重要な役割を果たしてきた。大東方百貨店太湖プラザ

無錫の最も初期の商業発展は、春秋戦国時代に遡る。この頃からすでに商業活動が行われており、歴史の進化に伴い、徐々に江南地域の交通の要所および商業の中心地となっていった。無錫は太湖湖畔に位置し、交通が便利で、古くから絹、茶、米などの集散地として栄えてきた。現在は、サービス産業とハイテク産業を中心とする多角的な経済となっている。

長江デルタの中心に位置し、交通の便が良く商品の流通に有利であるという地理的優位性と、豊富な天然資源と文化遺産を有し、商業発展のための独特の条件があること、無錫市政府がビジネス環境の最適化に力を入れており、多くの国内外の投資家や起業家を誘致していることが、商業中心都市としての発展に好影響を与えている。

現在、無錫の商業エリアは梁西区の中山路沿いに集中しており、この道路沿いには茂業百貨店、紅豆万華城、大東方百貨店、蘇寧プラザ、Center 66、ヤオハン、パークソンなどの中国内外の商業小売企業が集まっている。また、崇安寺・南禅寺・南長街は伝統的な商業地である。

1996年に江蘇省初の中外合弁小売企業であるヤオハンが設立され、1997年に中国で2番目の大型外資系スーパーマーケットであるメトロが設立されて以来、外資系商業小売業の集積が進んでいる。無錫は長江デルタ地域では上海に次ぐ第2位の商業都市である。現在では、Center 66、大東方百貨店、無錫ヤオハン、IKEA、ヤオハンセンター、アウトレット、アップルストア、万象城、海岸城、茂業百貨店などがあり、江蘇省や長江デルタ地域有数の商業中心都市の一つとなっている。
交通無錫空港無錫地下鉄無錫駅

無錫は北京?南京?上海の幹線上に位置し、重要な鉄道・道路・水路が通っている。

高速道路は、上海?南京間の滬寧高速公路(??高速公路)、北京?上海間の京滬高速公路(北京から南下し長江を無錫市域内北部の江陰市で渡り、無錫で滬寧高速公路に合流する)、上海から長江沿いを上流へ向かう沿江高速公路(北部の江陰市を通る)などが無錫市域を通る。その後、無錫は南部トンネル高速・宜興までの高速・南通までの高速もある。2023年、錫太高速公路の建設も始まった。


鉄道は、上海?南京間の幹線鉄道、浙江省杭州から北上し無錫市域を南から宜興市、無錫、江陰市を通って長江を渡る鉄道が無錫で交差する他、京滬高速鉄道無錫東駅が設けられている。京滬線無錫駅には滬寧城際線も通る。無錫は、江蘇省で3番目に鉄道交通が開通した都市である。


無錫地下鉄は2014年7月1日に最初の路線である1号線が正式に開業し、中国本土で22番目の地下鉄となった。2021年12月現在、無錫地下鉄には4路線(1号線、2号線、3号線第一期、4号線第一期、S1号線)があり、総営業距離は145キロメートル、駅は合計97か所ある。2023年12月迄、4号線第二期、5号線、S2号線と6号線第一期目の建設が進行している。


大運河水運は、大運河にルーツを持つ北京?杭州間の京杭大運河、太湖と長江を結ぶ無錫?江陰間の錫澄運河、市域西部の恵山区と蘇州市の長江の港・張家港を無錫市街の北側で結ぶ錫北運河がある。


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