『無量寿経』(むりょうじゅきょう)は、大乗仏教の経典の一つ。原題は『スカーヴァティー・ヴィユーハ』(梵: Sukh?vat?-vy?ha)で、「極楽の荘厳」という意味である。サンスクリットでは同タイトルの『阿弥陀経』と区別して、『大スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ぶ。 サンスクリット写本、チベット語訳、漢訳が現存する。日本では特記が無い限り『無量寿経』というと、漢訳『仏説無量寿経』の事を示し、浄土宗や浄土真宗では根本所依の経典とされる。 イェシェーデ 『大スカーヴァティー・ヴィユーハ』の漢訳は、かつて古来中国に12訳が存したと日本では伝えられており、5つの訳本が現存し、7つの訳本は欠本とされる[注 1]。このように五存七欠十二訳が言われるが、その史実性は疑われている[2]。諸漢訳はいずれも無量寿佛の立誓、浄土・極楽往生が説かれるが、内容は同一でなく差異がみえる。
概要
漢訳
仏説阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。『佛説阿彌陀三耶三佛薩樓佛檀過度人道經』
『仏説阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』2巻 呉の支謙訳…「呉訳」
後漢の支婁迦讖訳とする説もあるが、支謙訳という説が一般的である[3]。
別称には、『大阿弥陀経』がある[3]。
阿弥陀如来の本願は、「四十八願」ではなく、「二十四願」である。
偈頌を持たず、散文のみで構成される[3]。
『大正新脩大蔵経』(以下、『大正蔵』)第12巻 P300?P317
原文の経題の表記は、『佛説阿彌陀三耶三佛薩樓佛檀過度人道經卷上』、『佛説阿彌陀三耶三佛薩樓佛檀過度人道經卷下』 呉月支國居士支謙譯。
主な引用先…源信…『往生要集』、法然:『選択集』、親鸞:『教行信証』。
仏説無量清浄平等覚経中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。『佛?無量清淨平等覺經』
『仏説無量清浄平等覚経』4巻 後漢の支婁迦讖訳…「漢訳[注 2]」
支婁迦讖訳という説は仏教学では受け入れられていない[4]。
西晋の竺法護訳、曹魏の白延(はくえん〈帛延とも〉)訳との説もある[4]。
『大阿弥陀経』と『仏説無量寿経』の中間期に成立したとされている[4]。
略称は、『清浄平等覚経』、『平等覚経』が用いられる。
阿弥陀仏の本願は、「四十八願」ではなく、「二十四願」である。
『大正蔵』 第12巻 P279?P299。
原文の経題の表記は、『佛説無量清淨平等覺經卷第一』、『佛説無量清淨平等覺經卷第二』、『佛説無量清淨平等覺經卷第三』、『佛説無量清淨平等覺經卷第四』 後漢月支國三藏支婁迦讖譯。
主な引用先…善導:『観経疏』、源信…『往生要集』、法然:『選択集』、親鸞:『教行信証』、『愚禿鈔』、作者不詳:『安心決定鈔』。
仏説無量寿経ウィキソースに『仏説無量寿経』の原文があります。ウィキクォートに『仏説無量寿経』
『仏説無量寿経』2巻 曹魏の康僧鎧訳…「魏訳」
漢訳のうち日本の浄土教諸宗において主に用いられるのは、この二巻本『仏説無量寿経』である。
『歴代三宝紀』に現れる、康僧鎧が漢訳したという説は、多くの点から支持し難く[5][6]、東晋の仏陀跋陀羅・宝雲の両者によって421年に共訳されたとする説が有力である[5][7][8] 。
上下巻の2巻からなるため『双巻無量寿経』(『雙巻無量壽經』)、『双巻経』(『雙巻經』)とも呼ばれる。また、経名に「大」の字を冠して『大無量寿経』と称し、略して『大経』とも称する。[注 3]。