「仏説[注 9]」とは、釈尊が自ら口で説いた教えのことである。しかし、釈尊の在世時から滅後100年頃までは口伝によって教えである「法」と規則である「律」が伝えられる。それら「法」と「律」は、「結集」によって認証確定されていく。そして滅後100年を過ぎた頃に、「法」を集めた「経蔵」と「律」を集めた「律蔵」が成立したものと考えられる[11]。(詳細は、大乗非仏説を参照)。
成立時期などに関する諸説
仏典研究上では、阿弥陀仏に対する信仰は、客観的な資料がとぼしく諸説[12]存在するが、インドおよび近隣諸国の思想の影響下、「釈尊観の展開によるとする説」が有力である。原始仏教以来の釈尊観の発展、および『無量寿経』の法蔵菩薩説話における仏伝の投影から、浄土教は大乗仏教が伝播するに伴う菩薩思想の深化の中で、釈尊観の展開としたものと考えられる。
仏教学者の中村元は、浄土教・浄土経典は部派仏教がいちおう確立したのちに出現したものとする[13]。140年頃かそれ以前には、『無量寿経』・『阿弥陀経』が漢訳されたとする。(『浄土三部経』下を参照。)
信楽峻麿は、釈尊入滅から500年前後には大乗仏教が成立したものと考え、『無量寿経』の成立時期について、釈尊入滅後約500年とし、編纂者は不明とする(信楽峻麿「阿弥陀仏論」P.251を参照)。
藤田宏達は、原始仏教において、阿弥陀仏、極楽浄土の観念、浄土思想が存在しなかったとする。(教学本部編『伝道』29号、80P.を参照)
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 大正15年(1926年)に日本で出版された河口慧海著の『在家仏教』の康僧鎧譯無量壽經の眞相(64頁)の記述などに「五存七欠」の表記がみえる
^ 漢訳…ここでは『仏説無量清浄平等覚経』4巻のことを「漢訳」と略称する。後漢の時代の訳の意。
^ 『大無量寿経』…法然『選択本願念仏集』、親鸞『顕浄土真実教行証文類』などで『大無量寿経』の語を用いている。(『選択本願念仏集』岩波文庫、P.168、『教行信証』岩波文庫、P.29を参照。)
^ 貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)。
^ 殺生(せっしょう)、偸盗(ちゅうとう)、邪淫(じゃいん)、妄語(もうご)、飲酒(おんじゅ)。
^ 唐の菩提流志(ぼだいるし)…北魏の菩提流支とは別人
^ 康僧鎧訳とされる魏訳『仏説無量寿経』がこれに当たるとされる[5]。