ロンドンのオースティン・フィアーズ(Austin Friars)はユグノーが集住するコロニーであったが、それは閨閥と共同事業により独自の社会として成長し、南海泡沫事件の後イギリス債券投資を本格化させた。ネック準男爵(Joshua van Neck)、ミルマン家(ex. Richard Muilman)、マシュー・デッカー(Matthew Decker)などがいた。ロシア公債取引の窓口を営んだ者もいた(Herman Isaac de Smeth)。ネック準男爵の娘はトーマス・ウォルポール(Thomas Walpole)と結婚した。1733年以降のコロニーはイギリス債券市場の市場価格データをアムステルダムの会社に送り続けた(Jan Isaac de Neufville & Comp.)。オランダのあらゆる階層の貯蓄部分がイギリス債券に集中投下された。オランダのシェアは英国内で機密あつかいされた。資金はオーストリア継承戦争やジャコバイトの鎮圧に使われた。こうした軍需が一部の生産資本や商業資本を潤おした。[6]
参考文献
栗原福也 「オランダ共和国における大商人層の支配」[7]
脚注^ 川口博 「議会と主権 オランダ共和国の成立」 おわりに
^ 英語でGrand pensionary, オランダ語でRaadpensionaris
^ レヘントについて、彼らの収入は有事を除いて課税されなかった。公職については無給であったが、法定利息で州の出費を立て替え払いすることができた。州の資金調達をその利率より抑えることができれば、差額を懐に入れることができたのである。徴税は中流階級が入札で請負ったから、打ちこわしやデフォルトがたびたび起きてもレヘントは矢面に立たなかった。
^ 永積昭 『オランダ東インド会社』 近藤出版 1981年 p.39.
^ 富田俊基 『国債の歴史 金利に凝縮された過去と未来』 東洋経済新報社 2006年 pp.118-119.
^ 仙田左千夫 「イギリス長期公債とオランダ資本」 彦根論叢 194号 1979年2月 111-125頁
^ 2016年4月7日編集時、冒頭を除いて出典が明記されていない記事全体
関連項目
ジョージ・クリフォード3世