どのように無神論を定義し分類するべきか、どのような精神的、超自然的、超越的な存在が神とみなされるのか、無神論はそれ自体が哲学的な立場なのか、それとも単に存在しないことなのか、そして意識的で明確な拒絶を必要とするのか、といった点で作家たちは意見を異にしている[19]。無神論は不可知論と互換性があるとみなされてきたが[20][21][22][23]、それと対比されることもあった[24][25][26]。無神論の異なる形態を区別するために様々なカテゴリーが用いられてきた。
無神論が否定する現象の範囲に関しては、神の存在から、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、道教のような精神的、超自然的、または超越的な概念の存在まで、あらゆるものを含む[1]。 神の観念は実に多様であるため、神の定義如何によってさまざまな考え方が無神論とみなされうるし、その逆も成り立つ。 古代ローマ人はキリスト教徒がペイガンの神々を崇拝していないことを無神論者と非難した。しかし次第に「有神論」があらゆる神々への信仰を含むものとして理解されるようになり、この見解は支持されなくなった[27]。 無神論は、神の存在から、仏教、ヒンズー教、ジャイナ教、道教などの精神的、超自然的、超越的な概念の存在まで、あらゆる現象を否定している[1]。ブリタニカ百科事典は、この区別についてこう書いている。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}しかし無神論はもっと広く「霊的な存在」を信じることをすべて否定する。霊的な存在を信じることが、あるシステムが宗教的であることの決定的な意味である限り、無神論は宗教を否定することになる。無神論は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の中枢概念を否定するだけでない。ディンカ族やヌエル族のようなアフリカの宗教、古代ギリシャやローマの擬人化された神々、ヒンズー教や仏教の超越的な概念をも否定する。一般に無神論とは、神や神々の否認である。宗教を霊的存在への信仰の見地から定義するならば、無神論はあらゆる宗教的信仰を拒絶する[1]。 ジャーナリストのゲイリー・ウルフが2006年に提唱した新無神論(New Atheism)は、21世紀の無神論者たちの立場を表す[28][29]。現代の無神論ではあらゆる宗教は容認されるべきではなく、政府や教育、政治など、過度な影響力を持つところでは、合理的な議論によって反論、批判、挑戦されるべきだと主張する思想家や作家たちによって進められている[2][3]。 また無神論は、次の観点から分類されることもある。 無神論の明確な対義語は有神論である。理神論や汎神論は、無神論と対義的に扱われることもあるし、消極的無神論の一部とみなされることもある。
類型
神の存在についての考察や議論を避ける消極的無神論
神の不在を明言する積極的無神論