無条件降伏
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永井和によれば、重光の具申により方針を撤回させたことは重要であり、日本の無条件降伏が軍に対するものであって国に対するものではないことに基づくとする[50][注釈 3]
条件付の無条件降伏であったとする説

藤田宏郎によれば、無条件降伏を最初に持ち出したフランクリン・ルーズベルトは当初から一貫して「無条件降伏」の具体的要件について明確化させない方針を採用した。ルーズベルトは、枢軸国が一切の条件をつけずに文字通りに無条件降伏を宣明することが重要で、その後に、交渉によっては寛大な処置もありうるということを重視した。またその処置についても枢軸諸国の国民に対してのものであり、枢軸諸国の国家の思想およびその指導者は別のことであったとされる。ルーズベルトは欧州戦線における米英連合軍総司令部の数度にわたる無条件降伏方針の修正の提案に対して断固として拒否しており、このことは米国の無条件降伏の主張が、欧州戦線で懸念されたようにドイツ軍の死力を尽くした戦闘を助長していると考えられていた。英国およびソ連はこの無条件降伏という米国の主張が不必要に戦争を長引かせていると考え、アイゼンハワーもこれに同意していた。そこでアイゼンハワーの幕僚は1945年初頭からイタリアの降伏のために作成された取り決めに似た【条件付無条件降伏(conditional unconditional surrender)】のさまざまな宣言文を起草したが、いずれもワシントンの受け入れる所ではなかった[51]。ルーズベルトの意味するところの無条件降伏は、ともかく敗者が無条件で降伏することを求めており、無条件降伏という言葉のもう一つの可能な解釈である「勝者が敗者に一定の条件を明らかにし、敗者がその条件を無条件に受け入れる」とするいわゆる【条件付無条件降伏論】の立場は明確に否定していた[26]。ドイツの無条件降伏はルーズベルトが意図した一切の事前の条件提示のない完全な無条件降伏だった。トルーマンは、日本に対する降伏要求について、無条件降伏の原則を堅持したが、多くの側近の助言を受けこの原則に一部修正を加え、ルーズベルトが否定した条件付無条件降伏論の立場に立って対日降伏勧告のポツダム宣言を発した[37]とする。
無条件降伏であったという説

日本政府は、国会答弁で「日本国は無条件降伏をした」と説明したことがある[52]。2007年(平成19年)、安倍内閣は衆議院質問答弁書で、無条件降伏の定義について一概に述べることが困難であるということもあり、(日本国が無条件降伏したか否かについては)様々な見解があると承知している、と答弁した[53]降伏文書署名後の1945年(昭和20年)9月6日には、米国大統領トルーマンから「連合国最高司令官の権限に関するマックアーサー元帥への通達」(JCS1380/6 =SWNCC181/2)(原文どおり)があり、その第1項で「天皇及び日本政府の国家統治の権限は、連合国最高司令官としての貴官に従属する。貴官は、貴官の使命を実行するため貴官が適当と認めるところに従って貴官の権限を行使する。われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立つているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。貴官の権限は最高であるから、貴官は、その範囲に関しては日本側からのいかなる異論をも受け付けない。」と記載されている。この通達はトルーマン大統領からマッカーサー連合国最高司令官へのTOP SECRETの文章であり直接日本政府に通告されたものではないが、降伏文書(契約的性質を持つ文書)を交わしたアメリカが実質的にその契約性を否認していた証拠と解する立場がある[54][55]
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この節はおもに日本国内での裁判資料を1次情報として要約整理しており、学術的背景をそなえていない可能性があります。

判例は日本国政府がGHQの指示に従う必要性について一貫して認定する立場である。ただ、裁判における「日本国の無条件降伏」の認定については文言上のばらつきがあり、ポツダム宣言受諾と降伏文書調印という事実により(特に理由を付さずに)無条件降伏を認定する立場、理由を付して無条件降伏を認定する立場、無条件降伏の主体を「日本」とする立場、また事案上の被告(日本国政府)が国家の無条件降伏と答弁したもの[56] 、などがある。ただしこれらはあくまで個別の案件について判示されたもの、あるいは裁判を有利にする答弁であり、この認定が個別の案件にもたらす効果についてはさまざまである[注釈 4][注釈 5]

T:特に理由を付さずに無条件降伏を認定する立場

補償金請求控訴事件【事件番号】東京高等裁判所判決/昭和38年(ネ)第528号

貸金返還請求上告事件【事件番号】 最高裁判所第三小法廷判決/昭和52年(オ)第1395号 【判決日付】 昭和57年3月30日

損害賠償等、恩給請求棄却処分取消請求控訴事件【事件番号】大阪高等裁判所判決/平成10年(行コ)第22号

【事件番号】横浜地方裁判所決定/平成10年(た)第2号、平成10年(た)第3号、平成10年(た)第6号、平成10年(た)第7号、平成10年(た)第8号 【判決日付】 平成15年4月15日

公式陳謝等請求控訴事件【事件番号】大阪高等裁判所判決/平成13年(ネ)第3260号 【判決日付】 平成15年5月30日

損害賠償請求事件【事件番号】札幌地方裁判所判決/平成15年(ワ)第2636号 【判決】平成19年06月15

U:理由を付して無条件降伏を認定する立場

仮処分申請事件【事件番号】 大阪高等裁判所判決/昭和36年(ネ)第759号 【判決日付】 昭和39年6月30日

損害賠償請求控訴事件【事件番号】 東京高等裁判所判決/平成元年(ネ)第1556号 【判決日付】 平成5年3月5日

損害賠償請求事件【事件番号】東京地方裁判所判決/平成7年(ワ)第15636号 【判決日付】 平成11年9月22日[注釈 6]

V:無条件降伏の主体を「日本」とする立場

損害賠償請求控訴【事件番号】 東京高等裁判所判決/昭和36年(ネ)第1678号

損害賠償請求事件【事件番号】 東京地方裁判所判決/昭和56年(ワ)第4024号、昭和56年(ワ)第8983号、昭和57年(ワ)第731号、昭和60年(ワ)第12166号

香港軍票補償請求事件【事件番号】東京地方裁判所/平成5年(ワ)第15280号 【判決日付】 平成11年6月17日

【事件番号】 京都地方裁判所/平成19年(ワ)第3986号、平成20年(ワ)第797号、平成20年(ワ)第2263号、平成20年(ワ)第3884号、平成21年(ワ)第1575号 【判決日付】 平成21年10月28日

W:事案上の被告(日本国政府)が国家の無条件降伏を答弁において言及したもの

不当利得返還請求事件【事件番号】東京地方裁判所判決/昭和36年(行)第123号

退職金請求事件【事件番号】 東京地方裁判所判決/昭和59年(行ウ)第47号 【判決日付】 昭和63年9月29日


最高裁判決では国家公務員の労働争議(団体交渉権)を禁止するポツダム政令の正当性を問う昭和20年ポツダム勅令・昭和23年政令201号裁判[57]において国家の無条件降伏と認定したうえで[注釈 7]、日本国民においても連合国最高司令官又は他の連合国官憲の発する一切の指示を誠実且つ迅速に遵守すべきことが命ぜられていると認定したことがある[58]

国家賠償請求において戦争被災者、慰安婦、共産党員などが国家の「条件付降伏」を主張し、被告である国が無条件降伏を主張することがしばしばみられる。

国家公務員の労働争議(団体交渉権)を禁止するポツダム政令の正当性を問う昭和20年ポツダム勅令・昭和23年政令201号裁判[59]

無条件降伏と領土問題

この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2009年8月)

降伏文書においては『無条件的降伏の布告は、大本営が日本国軍隊並びにその支配化(引用ママ)にある一切の軍隊に対して、無条件敵降伏(引用ママ)を布告いたしたのでありまして、この文章の中には日本国民に布告している文章というものは一つも発見できない』[60]ため、日本国国民は講和条約に発言権が認められるとの主張がある。これはポツダム宣言で言明された「日本が暴力及び貪欲により奪取した一切の地域を取上げる」趣旨の規定に対する日本国民(あるいはその代表である国会)の反論が可能かという点で領土問題に及ぶ[60]。これに対して吉田は日本国は無条件降伏をしたのであると明言した上[61]で、日本国民の希望が認められるかについては、連合国の好意により反映されるだろうとの判断を示している[62]

江藤淳は日本国が無条件降伏していないという事実を挙げ、この上に今日の日本の存立がかかり、殊に対ソ関係においては北方領土返還要求の合法性がかかっていると指摘する。またソ連が対日参戦後にポツダム宣言の署名国に参加し、この「協定」(ポツダム宣言)の拘束を受けており、ソ連のシベリア抑留は早期帰還を約束している宣言第九項に違反しており、北方領土占拠が不当なのは、ポツダム宣言が領土不拡張を掲げたカイロ宣言の精神を継承しているにもかかわらずその原則を侵害しているためである、とする[63]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ ただしこの定義は1956年の野戦手引きのものである。


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