無条件降伏
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本多はカイロ宣言にあった日本国の無条件降伏の思想はポツダム宣言にも通底していたとし、「大括弧でくくられる『無条件降伏』の思想と小括弧でくくられる『有条件降伏』の方式とが同時に存在する」と主張した[42]。論争の後に国際法を専門とする高野雄一は朝日新聞紙上で解説を行ない、ドイツと異なり政府の存続を認められたのが日本の降伏であるとした上で、無条件降伏ではないという点では江藤が正しいとした。ただし、江藤が従属制限の法的条項には論争で全然触れておらず、「日本は明示された諸条件の下に主権を維持しつついわば約束ずくの降伏」をしたとして、占領管理下の日本をもそう理解しているようであるならば、それは誤りだと指摘する[43]。江藤は後の講演で、“その後学術的に高野らに明確に反論した者はなく、ポツダム宣言受諾は条件つき降伏であるとの論が有力である”と語っている[44]
無条件降伏ではないという説

小堀桂一郎が以下のように主張している。ドイツ政府は征服によって消滅し聯合国の完全なる支配の下に置かれることとなったが、日本政府と聯合国との法的関係はドイツのそれとは異なる基礎の上に立つものである。これは休戦に至った経緯の差異に基づく。日本は聯合国のポツダム宣言を受諾することとなり、そこに条件が示されている。そして降伏文書自体もその宣言即ち「下名はここにポツダム宣言の条項を誠実に履行すること並に右宣言を実施する為聯合国最高司令官の要求することあるべき一切の命令を発し且かかる一切の処置を執ることを天皇、日本政府及その後継者の為に約す。」又「天皇及日本国政府の国家統治の権限は本降伏条項を実施する為適当と認むる処置を執る聯合国最高司令官の制限の下に置かるるものとす。」と援用されている。この文書は「降伏文書」という形式をとってはいるが、締約国を拘束する国際協定の性質を持つものであり、相互的な義務及び権利が存することとなったものである。ポツダム宣言自体一つの条件であり、第5條には「吾等の条件は左の如し。吾等は右条件より離脱することなかるべし。右に代る条件存在せず。」と明言されている。「無条件降伏」という文字はポツダム宣言第十三條及び降伏文書第二項にも使用されているがこれは何れも日本の軍隊に関することであって、これが為にポツダム宣言の他の条項が当事者を拘束する効力を喪うものであると解すべきではない。 ? 小堀『東京裁判 日本の弁明』「却下未提出弁護側資料」

青山武憲は日本は国体護持という条件を突付け戦闘行為を終えたものであり、無条件降伏ではなく条件付降伏であったと主張する[45]

高橋正俊はポツダム宣言は条件付休戦条約であると考えられているとする[46]。政府見解では「我が国と米国はサンフランシスコ平和条約を発効するまでの間、それまでの間、国際法上のいわば戦争状態にあり、戦時国際法である陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約が当時の両国間の関係について適用されていた」[47]としており、ポツダム宣言受諾調印をもって国家間の戦争状態の終結とはしていない。

渡部昇一は、「ポツダム宣言」に、「陸海軍の無条件降伏をせしめること」という条件が付してあることを挙げ、仮に日本政府が無条件に降伏したとしたら、陸海軍を無条件降伏させることが不可能となるため、日本に主権をとどめ命令する権利を残したとし、条件降伏であることはもちろん、「降伏かどうかすら疑わしい話」であり、「外交交渉と言ったほうが実態に近い」と主張している[48]

また大西洋憲章をすでに宣言した米国による日本への「憲法の押し付け」は民族自決権を表明した同憲章の理念に反しているとの意見がある[49]極東委員会やマッカーサー総司令部が行った憲法制定や検閲、言論や教育の統制などの占領政策は大西洋憲章の趣旨が反映されたポツダム宣言や降伏文書、降伏の条件として国体護持を出したときに日本国の最終の政治形態は日本国民が自由に表明する意志で決めるとの回答に違反する行為であった[45]

ポツダム宣言13条では「日本国政府が直に全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し且右行動に於ける同政府の誠意に付適当且充分なる保障を提供せんことを同政府に対し要求す」とあり(原文カナ文字)、日本国政府の日本国軍隊に対する姿勢は「軍隊の無条件降伏を宣言する主体」として別個の扱いであり、日本国政府が自らの無条件降伏を宣言する体裁を採用していない。

一方で、カイロ宣言が発表された1943年11月のカイロ会談では、無条件降伏を行うのが軍隊なのか国家なのかが議論され、この時は、無条件降伏を行うのは国家とされた。カイロ宣言では、単に最後の項で「右の目的を以て、右三同盟国は、同盟諸国中日本国と交戦中なる諸国と協調し、日本国の無条件降伏をもたらすに必要なる重大且長期の行動を続行すべし。」(原文は片仮名体)とある。

降伏文書の調印に先立ち、アメリカ主導で組織された連合国軍は、同年8月28日からイギリスやオーストラリアニュージーランドなどによるイギリス連邦による協力を受け、日本への進駐を開始した。連合国は日本本土に対して軍政を実施するとの情報があり、重光外務大臣は9月3日にマッカーサーに面会し、直接具申しこれを撤回させた。永井和によれば、重光の具申により方針を撤回させたことは重要であり、日本の無条件降伏が軍に対するものであって国に対するものではないことに基づくとする[50][注釈 3]
条件付の無条件降伏であったとする説

藤田宏郎によれば、無条件降伏を最初に持ち出したフランクリン・ルーズベルトは当初から一貫して「無条件降伏」の具体的要件について明確化させない方針を採用した。ルーズベルトは、枢軸国が一切の条件をつけずに文字通りに無条件降伏を宣明することが重要で、その後に、交渉によっては寛大な処置もありうるということを重視した。またその処置についても枢軸諸国の国民に対してのものであり、枢軸諸国の国家の思想およびその指導者は別のことであったとされる。ルーズベルトは欧州戦線における米英連合軍総司令部の数度にわたる無条件降伏方針の修正の提案に対して断固として拒否しており、このことは米国の無条件降伏の主張が、欧州戦線で懸念されたようにドイツ軍の死力を尽くした戦闘を助長していると考えられていた。英国およびソ連はこの無条件降伏という米国の主張が不必要に戦争を長引かせていると考え、アイゼンハワーもこれに同意していた。そこでアイゼンハワーの幕僚は1945年初頭からイタリアの降伏のために作成された取り決めに似た【条件付無条件降伏(conditional unconditional surrender)】のさまざまな宣言文を起草したが、いずれもワシントンの受け入れる所ではなかった[51]。ルーズベルトの意味するところの無条件降伏は、ともかく敗者が無条件で降伏することを求めており、無条件降伏という言葉のもう一つの可能な解釈である「勝者が敗者に一定の条件を明らかにし、敗者がその条件を無条件に受け入れる」とするいわゆる【条件付無条件降伏論】の立場は明確に否定していた[26]。ドイツの無条件降伏はルーズベルトが意図した一切の事前の条件提示のない完全な無条件降伏だった。トルーマンは、日本に対する降伏要求について、無条件降伏の原則を堅持したが、多くの側近の助言を受けこの原則に一部修正を加え、ルーズベルトが否定した条件付無条件降伏論の立場に立って対日降伏勧告のポツダム宣言を発した[37]とする。
無条件降伏であったという説

日本政府は、国会答弁で「日本国は無条件降伏をした」と説明したことがある[52]。2007年(平成19年)、安倍内閣は衆議院質問答弁書で、無条件降伏の定義について一概に述べることが困難であるということもあり、(日本国が無条件降伏したか否かについては)様々な見解があると承知している、と答弁した[53]降伏文書署名後の1945年(昭和20年)9月6日には、米国大統領トルーマンから「連合国最高司令官の権限に関するマックアーサー元帥への通達」(JCS1380/6 =SWNCC181/2)(原文どおり)があり、その第1項で「天皇及び日本政府の国家統治の権限は、連合国最高司令官としての貴官に従属する。貴官は、貴官の使命を実行するため貴官が適当と認めるところに従って貴官の権限を行使する。われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立つているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。貴官の権限は最高であるから、貴官は、その範囲に関しては日本側からのいかなる異論をも受け付けない。」と記載されている。この通達はトルーマン大統領からマッカーサー連合国最高司令官へのTOP SECRETの文章であり直接日本政府に通告されたものではないが、降伏文書(契約的性質を持つ文書)を交わしたアメリカが実質的にその契約性を否認していた証拠と解する立場がある[54][55]
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この節はおもに日本国内での裁判資料を1次情報として要約整理しており、学術的背景をそなえていない可能性があります。

判例は日本国政府がGHQの指示に従う必要性について一貫して認定する立場である。ただ、裁判における「日本国の無条件降伏」の認定については文言上のばらつきがあり、ポツダム宣言受諾と降伏文書調印という事実により(特に理由を付さずに)無条件降伏を認定する立場、理由を付して無条件降伏を認定する立場、無条件降伏の主体を「日本」とする立場、また事案上の被告(日本国政府)が国家の無条件降伏と答弁したもの[56] 、などがある。ただしこれらはあくまで個別の案件について判示されたもの、あるいは裁判を有利にする答弁であり、この認定が個別の案件にもたらす効果についてはさまざまである[注釈 4][注釈 5]


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