無所属
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これらの候補は、小選挙区制の場合は旧所属政党から対立候補を立てられない例が多く(見かけ上旧所属政党の空白区となる)、無所属で当選することでみそぎを果たしたとすることもある(第49回衆議院選挙における田野瀬は自身の不祥事で離党していたが保守系無所属で当選し、公示日に遡って追加公認ならびに選挙後すぐに復党まで認められた)。

無所属議員が政府の職に就いた例はほとんどないが、2011年菅直人内閣に入閣した与謝野馨はその数少ない例である。

大日本帝国憲法下に存在した貴族院の場合は更に複雑で、貴族院議員は非政党員であることが事実上の慣例となっていたため、ほとんどの議員が法律上においては無所属であった。だが、実際にはその大半が政党に替わって組織された院内会派に属しており(政党系・非政党系など会派によってその位置付けは異なる)、一般にはこうした会派に属していない議員のみを慣習的に無所属と呼んだ。だが、会派所属の議員に比べて議員活動に不利な会派無所属の議員が活動しやすいように、一部の会派無所属の議員達が便宜的に「無所属」を正式名称とした会派を結成した時期もあった。勿論、こうした会派にも参加しなかった議員もおり、紛らわしいことから無所属会派を「無所属団」、後者の議員を「純無所属」と呼称して区別を行った。

2010年7月11日に行われた第22回参議院議員通常選挙では無所属の当選者はゼロとなった。

2016年に結党した民進党では旧みんなの党の比例代表選出議員ゆえに公職選挙法第99条の2の規定により改選まで国会議員職を維持したまま民進党に参加できない旧みんなの党の参議院議員5名(小野次郎川田龍平柴田巧寺田典城真山勇一)は共同会派所属国会議員の地位に関する経過規定(党規約附則2条2項[9])により、2019年9月まで無所属でありながら党役員への就任や両院議員総会での議決権行使を許されて民進党所属国会議員に準ずる地位を有するものとされたが、同年の第24回参議院議員通常選挙に伴い該当者は川田のみとなり、その川田も2017年12月には立憲民主党に入党。同項は2018年2月4日の改訂に伴い削除された。

2019年4月以降は1人区で立憲民主党や日本共産党が参加する民共共闘の一環として無所属で立候補する例が見られるようになった。2019年4月の大阪12区の補欠選挙では日本共産党の衆議院議員だった宮本岳志が無所属として立候補するも落選し、供託金を没収された。2019年7月の第25回参議院議員通常選挙では1人区で野党統一の無所属候補が32ある1人区の選挙区中10人当選したが、僅差で与党候補に勝利する事例もあり一定の成果を上げた。

現在無所属である国会議員については、日本の政党一覧を参照のこと。
地方政治

地方議会首長でもかつては政党公認候補が珍しくなかった。しかし、首長は複数政党による相乗り・共闘が前提になることから、候補者の推薦・支持が行いやすいように、無所属での立候補が常態になった。

1995年平成7年)の統一地方選挙では、無党派層が既成政党以外の無所属候補(代表例として青島幸男東京都知事横山ノック大阪府知事)を当選させたため、それ以降は政党の党員による無所属立候補は一層進み、推薦・支持も表向きは受けない例が増えるようになった。

地方議会では、都道府県議会では政党・政治団体公認が主流だが、無所属も2022年12月31日現在で2570人中595人、23.2%を占める[10]。市区町村議会では、特に大都市圏以外で無所属の比率が高く、2022年12月31日現在で29155人中20279人、69.6%を占め、2位公明党の9.2%(2681人)に大差を付けている[10]。その多くは保守系無所属である[11]。しかし国政選挙とは違い、当選後も無所属で通す候補者が多い。

都道府県知事は、大阪府知事の吉村洋文大阪維新の会[注 4]公認、2023年4月9日当選)と奈良県知事山下真日本維新の会公認、2023年4月9日当選)を除き、全員が無所属として当選した人物である。市長・区長・町長・村長についても、2022年12月31日現在で、1740人中1721人、98.9%が無所属である。政党公認は自民党の2人、「その他の政治団体」公認は17人、欠員は1人である[10]。なお、「その他の政治団体」はすべて大阪維新の会である。

その他の政治団体ではない政党公認で知事となったのは、前述の奈良県知事選で2023年4月9日に当選を決めた山下真(日本維新の会公認)が最後の例で、それ以前となると群馬県知事選で2007年7月22日に当選を決めた大沢正明(自民党公認)まで16年10ヶ月遡る。さらにその前は1996年10月20日の富山県知事選に自民党公認で当選した中沖豊で、10年10ヶ月の開きがあった。大沢は2011年2015年に再選したが、2期目以降は無所属としての立候補を選んだ。なお、当落は別とした自民党の公認候補も、中沖から大沢までの間は一人も例がなく、大沢以降に公認を立てた例もない。

一方で1970年前後には社共共闘を基盤とする革新統一候補が無所属(または諸派)として首長選に出馬し、多くの革新自治体が生まれた。しかし、社共の下部組織の対立や、公明党や民社党が台頭して社会党がこれらの中道政党との関係を重視するようになるといった理由により、革新系無所属の首長は減少する。代わって共産党以外の全政党の推薦を受けたオール与党としての無所属首長が増加した。

自民党以外による単独での知事選への対応は、日本共産党は無所属として立てる場合と、公認候補を立てる場合が相半ばする。社会民主党は、1999年青森県知事選で今村修を公認したのが最後の公認で、民主党民進党国民民主党立憲民主党は一度も公認候補を立てたことがない(2007年岩手県知事選挙において達増拓也を公認候補として立てる動きもあったが、自民党支持者を取り込むため無所属で出馬した)。


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