無害通航
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すでに述べたように軍艦に無害通航権が認められるかどうかについて明文化した条約はなく、この点については異なる複数の解釈が存在する[9]。1958年の国連海洋法会議ではこの点について合意に至ることができず、領海条約第23条に規則違反の軍艦に対する退去要請権が定められたことを除き、軍艦の無害通航権に関する規定を採択することはできなかった[4]。1973年から1982年にかけての第3次国連海洋法会議においても意見の一致は見られず、同会議において採択された国連海洋法条約では無害性の基準について船種基準とするのか行為基準とするのか解釈上の問題が残る規定が採択された(#無害の基準参照)[4]。その結果、軍艦の無害通航権を認める国(アメリカイギリスオランダ日本)、事前に通告することを求める国(エジプト)、事前の許可を求める国(ルーマニアスーダンオマーン)と、各国の立場が分かれることとなった[4]。1989年にはアメリカとソ連が「無害通航の統一解釈」という共同声明を発し、「軍艦を含むすべての船舶は、積荷、軍備、推進方法にかかわりなく、国際法にしたがって領海の無害通航権を有し、事前の通告ないし許可を必要としない」という立場を示した[10](その前年1988年に黒海で米ソ艦船の衝突事件が起きていた)。このように軍艦の無害通航権の有無については意見の一致が見られないものの、国連海洋法条約では領海条約第23条を引き継ぎ国際法や沿岸国の法令に従わない軍艦に対して沿岸国が退去要求をできると定められたほか(第30条)、軍艦の違法行為の結果として沿岸国に与えた損失に対して旗国(船舶が所属する国[11])が国際責任を負うと定められた(第31条)[9]
海中

国連海洋法条約第20条において、潜水船その他の水中航行機器は、沿岸国の領海を航行する場合、海面に浮上し所属を示す旗(軍艦旗国旗)を掲揚すれば無害通航権を行使できる。
沿岸国の規制権

沿岸国は航行の安全、資源保護、汚染防止、関税・出入国管理のために必要な法令を制定することができ、安全確保に必要なときは航路帯や分離通航方式を採用することができるが、外国船舶に国際基準を上回る重い規制を課すことはできず、一方的に基準を超える厳しい基準を課せば部外通行を阻害することとなり国家責任を追及されることとなる(国連海洋法条約第21条、第22条)[4][12]内水に出入りせずに領海を通行する外国船舶が沿岸国の法令違反となる行為をした場合には一定の強制措置を実施する権限が沿岸国に認められるが、前述の国連海洋法条約第19条に規定される無害ではない通航に該当する場合を除き、通行権そのものを否定したり通航を阻害する結果となってはならない(国連海洋法条約第24条第2項)[12]。無害ではない通航に該当する場合には、その通航を防止するために必要な措置をとることができ、軍事的安全保護のために不可欠な場合には特定海域において外国船舶の無害通航を一時停止することができる(国連海洋法条約第25条)[12]。無害通航中の船舶内で起きた犯罪行為に対しては基本的に船舶の旗国が裁判管轄権を有するが、密輸、不法入国、汚染、安全保障に関する法令違反など、犯罪の結果が沿岸国に及ぶ場合、犯罪が沿岸国の平和、領海の秩序を乱すものである場合、船舶の船長や旗国の外交官・領事官から沿岸国に援助要請があった場合、麻薬・向精神薬不法取引の抑圧に必要な場合、これらの場合に限り沿岸国は捜査や逮捕などの刑事管轄権を行使することができる[12]。ただしその場合にも沿岸国は犯罪の重大性と運航阻害の危険とをくらべ航行の利益に妥当な考慮を払わなければならない(国連海洋法条約第27条)[12]
強化された無害通航「国際海峡」も参照

海上交通の要衝である国際海峡においては、伝統的に通常の領海におけるよりも緩和された通航が認められる「強化された無害通航」の制度が認められてきた[13]

1958年の領海及び接続水域に関する条約(領海条約)第16条第4項では、沿岸国は国際海峡における無害通航を停止することが認められず、平時には海峡の閉鎖などが禁止された(国際海峡でない領海においては領海条約第16条第3項により一定の条件下で停止権が認められる)[13]。「#沿岸国の規制権」も参照

こうした国際海峡の非閉鎖性は、1894年の万国国際法学会の領海の定義と地位に関する決議や1930年のハーグ国際法法典化会議準備委員会の報告書においてもすでに定められていた[13]。また1947年のコルフ海峡事件判決(英語版)も認めたように、軍艦の通行も認められた。1982年の国連海洋法条約により領海の幅が12カイリまでとされたことにともない、多くの国際海峡がいずれかの国の領海とされることとなった[14]

しかし1973年から始められた第三次国連海洋法会議においては、大きな海軍力を持つアメリカ合衆国ソビエト連邦がこうした従来の「強化された無害通航」に否定的で、国際海峡においては公海なみの航行自由を認めるべきであると主張した[13]。こうした主張に対してスペインモロッコインドネシアといった海峡を有する国々は反発し、国際海峡において厳格な無害通航制度の適用を主張した[13]。この対立に対する打開策としてイギリスは通過通航制度を提唱した[13]

通過通航制度とは、「継続的かつ迅速な通過の目的のみのための航行及び上空飛行の自由」と定義され、無害性が通航の直接の基準とはされず、軍用機を含め上空飛行が認められたことが無害通航との違いである[13]。1982年の国連海洋法条約では、この通過通航制度が定められ(第38条第2項)、それまでの「強化された無害通航」の制度が改められることとなった[14]
航空機
歴史

航空機が開発された当初は外国の航空機にも船舶の無害通航に類似した権利が認められていたが、第一次世界大戦期になると欧州諸国は領空内での排他的主権を主張するようになり事前に飛行ルートを通告するよう求める国が増えた[15]
飛行計画詳細は「飛行計画」を参照

現代では通過する領域国へ飛行計画を事前に提出することが求められる。

飛行計画を提出していない場合、領空へ進入する前の段階、すなわち防空識別圏へ入った時点で領空侵犯の可能性があるものと判断し、当該国はスクランブルで対処する。
出典[脚注の使い方]^ 「無害通航権」、『国際法辞典』、326頁。
^ a b c d e f g 山本(2003)、366-367頁。
^ a b 山本(2003)、368-369頁。
^ a b c d e f g h i j k l m n o 杉原(2008)、126-129頁。


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