無千年王国説
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この点について、一般に後千年王国説の論者とされるB・B・ウォーフィールドは無千年王国説と共通点を有しており、『ヨハネの黙示録』を1つの黙示 (an apocalyptic) とし、このジャンルにおいては全ては「象徴的媒体」を通じて語られると述べている[1]:そこに登場するあらゆる出来事、人物、事物はひとつの象徴として読まれるべきであり、そして象徴化された事物こそが理解されるべきである。これはある事柄を別の意味において語るということではなく、単に一連の象徴を媒体として語るということであり、そこでは象徴化された事柄のみが意味されているのである。

ウォーフィールドによれば、黙示文学において出来事は象徴的媒体を通じて描写されるため、「象徴」の細部を「象徴化された事柄」に無理に帰することがあってはならない。なぜなら、この書物はそれ自身「我々の眼前に提示する事柄の直接的な描写ではなく、常にそれを表す象徴の直接的な描写を与えている」ためである[2]
この説を支持する神学者

アブラハム・カイパー

H・バーヴィンク

G・ヴォス

F・E・ハミルトン

O・T・アリス

ルイス・ベルコフ

W・J・グリヤー

ウィリアム・ヘンドリクセン

宇田進

脚注^ B. B. Warfield, "The Apocalypse" in Selected Shorter Writings, vol II. Presbyterian and Reformed: Phillipsburg, 1971. p. 652. ISBN 0875525318 "every event, person, and thing, that appears on its pages is to be read as a symbol, and the thing symbolized understood. This is not to say one thing and mean another; it is only to say what is said through the medium of a series of symbols, and to mean nothing but the things symbolized."
^ B. B. Warfield, "The Millennium and the Apocalypse" in Biblical Doctrines, vol. II in Works. Baker Book House: Grand Rapids. n.d. p. 650. "gives us a direct description of nothing it sets before us, but always a direct description of the symbol by which it is represented."

参考文献

島田福安「千年期」『新キリスト教事典』いのちのことば社、1991年、863-864ページ

ウィリアム・ヘンドリクセン著、鈴木英昭訳『死後と終末』、つのぶえ社

W・J・グリヤー著、鈴木英昭訳『終わりの時』、聖恵授産所出版部

関連項目

千年王国

前千年王国説

後千年王国説


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