無人偵察機
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プログラムによる飛行では単に設定された航路を辿るだけでなく、GPSなどの援用で位置を修正する機種も実用化されているが、姿勢や航路を維持したり衝突する前に静止する半自律飛行[14]や、人工知能などを利用し外界を認識することで完全自律飛行させる技術等は研究段階である。

有人機に比べ信頼性に劣り衝突回避も難しいため、運航管理や衝突回避の研究が行われている[15]

動力は大きな機体ではガスタービンエンジンレシプロエンジンなど有人機と同じ物を搭載するが、軽量な小型機では電動式も存在する。

巡航ミサイル弾道ミサイルは技術的に類似しているが、通常は無人航空機には含まない。

旅客機に採用されているオートパイロットは技術的に重複する部分が多い[16]。この他にも研究用として有人機に無線操縦装置を搭載した機体が多数開発されている。

固定翼機では離着陸時に地上を滑走するものが多いが、小型の機体ではトラックの荷台に載せたカタパルトから打ち出すものや、さらに小さな機体では手で投げるものもあり、回収方法も小型のものではネットで受けたり地上のワイヤーに機体のフックを引っかけて回収する機種もある[17]。例としてRQ-2 パイオニアはネットで回収する。スウィフト020のように機体後部で接地する垂直離着陸機も登場している。

比較的低空を飛行するため騒音対策として推進器にイオン風(英語版)を使うドローンの研究も行われている[18]
軍用機
歴史
軍用無人機の実用化B-17の改造機であるBQ-7QF-9J標的機を直撃するAIM-9LQH-50 DASH1950年代に利用されていたラジコン式のターゲット・ドローンKAQ-1

古くから中国日本には竹とんぼ紙飛行機といった無人の飛翔玩具があったが、遠隔操縦が不可能なことから無人の航空機には一般的に分類されない[11]。無人の航空機を遠隔操縦するという発想は第一次世界大戦中から始まり、第二次世界大戦時から研究が本格化した。当初はケタリング・バグのような飛行爆弾に近い攻撃用、低翼単葉ロボット機完全自動操縦装置などの無線操縦システムが研究されたが、操縦精度やコストの問題から実用化されなかった。

早急な実用化はともかく[注 6]練習機などをベースに無線操縦機の研究・開発が行われた。英国の練習機DH.82 タイガー・モスをベースとした無線操縦機Queen Bee(クインビー、女王蜂)は、ドローン(雄蜂)という呼称の由来とする説がある。

しかし、第二次世界大戦の末期には、いくつかの無人機の例があった。1944年には、アメリカ陸軍が強固に防御されたV1飛行爆弾発射施設などを破壊するため、B-17爆撃機をBQ-7無人機に改造し、高性能炸薬を積み込んで体当たりさせるという「アフロディーテ作戦」を立案し実行した。この作戦にはアメリカ海軍も便乗しており、改造する機体をPB4Y-1に変更して行っていたが、いずれも技術的な問題で成功しなかった。
標的機・偵察機の登場

同大戦後、軍事関係で無人機として広く普及したものは標的機ターゲット・ドローン)であった。冷戦が本格化した1950年代アメリカ空軍ではBQM-34 ファイヤービー(英語版)のような高速飛行するジェット推進式の標的機を配備し、アメリカ軍と敵対したソビエト連邦軍も同様のLa-17 (航空機)を配備した。アメリカ海軍では無線操縦式のヘリコプターであるQH-50 DASHにより、海上を飛行して魚雷を投下する用途で1960年代に開発、実際に配備した。

1960年代から1970年代にかけて無線機の小型化や電子誘導装置が発達したことにより、写真偵察などを目的とするD-21マスティフなどの無人偵察機がアメリカイスラエルで本格的に開発開始され、特に標的機だったファイヤービーの偵察機型であるライアンモデル147 ライトニングバグ(英語版)はベトナム戦争で活用された。また、試験的ながら攻撃用途での開発の先鞭が付けられ、ファイヤービーを武装化する実験に成功していた[19]
攻撃機の登場

20世紀末からは画像電子機器や通信機器、コンピュータの発達により、衛星通信により遠隔地でもリアルタイムで操縦と映像の取得、気象条件が良ければ完全自動操縦などが可能となり、対テロ戦争が始まった21世紀からはRQ-1 プレデターに代表される偵察機型から攻撃機型への展開が行われた[20]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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