無人偵察機
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また、2016年(平成28年)4月7日施行の小型無人機等飛行禁止法により、内閣総理大臣官邸をはじめとする国の重要施設、外国公館や原子力事業所などの周辺地域の上空でドローン等を飛行させることが禁止されている[13]。当該法は、無人航空機「等」とされているように、多くの航空法が適用されないケースが多い100g以下の「模型航空機」も当該法に含まれるため、注意が必要である。加えて、2021年の航空法施行規則改正によって災害時に緊急用務空域が設定されるようになり、許可を得ていない無人航空機等は当該空域内の飛行が禁止されている。詳細は「重要施設の周辺地域の上空における小型無人機等の飛行の禁止に関する法律」および「緊急用務空域」を参照

操縦資格に関しては、無人航空機操縦者技能証明の制度が2022年12月より開始した。「マルチコプター#法規制」も参照
概要ネットで回収されたRQ-2 パイオニア神戸メリケンパークで飛行するスウィフト020

固定翼機と回転翼機の両方で用・民間用いずれも実用化されている。

プログラムによる自律飛行、一部を自動化する半自律飛行を備えた機体もあるが、多くは遠隔操作(主に無線)によって操縦する。衛星回線を利用すれば目視できない遠隔地でも操縦できるが、タイムラグが大きくなる。プログラムによる飛行では単に設定された航路を辿るだけでなく、GPSなどの援用で位置を修正する機種も実用化されているが、姿勢や航路を維持したり衝突する前に静止する半自律飛行[14]や、人工知能などを利用し外界を認識することで完全自律飛行させる技術等は研究段階である。

有人機に比べ信頼性に劣り衝突回避も難しいため、運航管理や衝突回避の研究が行われている[15]

動力は大きな機体ではガスタービンエンジンレシプロエンジンなど有人機と同じ物を搭載するが、軽量な小型機では電動式も存在する。

巡航ミサイル弾道ミサイルは技術的に類似しているが、通常は無人航空機には含まない。

旅客機に採用されているオートパイロットは技術的に重複する部分が多い[16]。この他にも研究用として有人機に無線操縦装置を搭載した機体が多数開発されている。

固定翼機では離着陸時に地上を滑走するものが多いが、小型の機体ではトラックの荷台に載せたカタパルトから打ち出すものや、さらに小さな機体では手で投げるものもあり、回収方法も小型のものではネットで受けたり地上のワイヤーに機体のフックを引っかけて回収する機種もある[17]。例としてRQ-2 パイオニアはネットで回収する。スウィフト020のように機体後部で接地する垂直離着陸機も登場している。

比較的低空を飛行するため騒音対策として推進器にイオン風(英語版)を使うドローンの研究も行われている[18]
軍用機
歴史
軍用無人機の実用化B-17の改造機であるBQ-7QF-9J標的機を直撃するAIM-9LQH-50 DASH1950年代に利用されていたラジコン式のターゲット・ドローンKAQ-1

古くから中国日本には竹とんぼ紙飛行機といった無人の飛翔玩具があったが、遠隔操縦が不可能なことから無人の航空機には一般的に分類されない[11]。無人の航空機を遠隔操縦するという発想は第一次世界大戦中から始まり、第二次世界大戦時から研究が本格化した。当初はケタリング・バグのような飛行爆弾に近い攻撃用、低翼単葉ロボット機完全自動操縦装置などの無線操縦システムが研究されたが、操縦精度やコストの問題から実用化されなかった。

早急な実用化はともかく[注 6]練習機などをベースに無線操縦機の研究・開発が行われた。英国の練習機DH.82 タイガー・モスをベースとした無線操縦機Queen Bee(クインビー、女王蜂)は、ドローン(雄蜂)という呼称の由来とする説がある。

しかし、第二次世界大戦の末期には、いくつかの無人機の例があった。1944年には、アメリカ陸軍が強固に防御されたV1飛行爆弾発射施設などを破壊するため、B-17爆撃機をBQ-7無人機に改造し、高性能炸薬を積み込んで体当たりさせるという「アフロディーテ作戦」を立案し実行した。この作戦にはアメリカ海軍も便乗しており、改造する機体をPB4Y-1に変更して行っていたが、いずれも技術的な問題で成功しなかった。
標的機・偵察機の登場

同大戦後、軍事関係で無人機として広く普及したものは標的機ターゲット・ドローン)であった。冷戦が本格化した1950年代アメリカ空軍ではBQM-34 ファイヤービー(英語版)のような高速飛行するジェット推進式の標的機を配備し、アメリカ軍と敵対したソビエト連邦軍も同様のLa-17 (航空機)を配備した。アメリカ海軍では無線操縦式のヘリコプターであるQH-50 DASHにより、海上を飛行して魚雷を投下する用途で1960年代に開発、実際に配備した。

1960年代から1970年代にかけて無線機の小型化や電子誘導装置が発達したことにより、写真偵察などを目的とするD-21マスティフなどの無人偵察機がアメリカイスラエルで本格的に開発開始され、特に標的機だったファイヤービーの偵察機型であるライアンモデル147 ライトニングバグ(英語版)はベトナム戦争で活用された。また、試験的ながら攻撃用途での開発の先鞭が付けられ、ファイヤービーを武装化する実験に成功していた[19]
攻撃機の登場

20世紀末からは画像電子機器や通信機器、コンピュータの発達により、衛星通信により遠隔地でもリアルタイムで操縦と映像の取得、気象条件が良ければ完全自動操縦などが可能となり、対テロ戦争が始まった21世紀からはRQ-1 プレデターに代表される偵察機型から攻撃機型への展開が行われた[20]

アメリカやイスラエルと異なり、欧州各国は無人機の有効性に懐疑的な主張が多く、アメリカ軍と比較して開発が遅れた[8]。一方の中国イラク戦争でのアメリカ軍の無人機の戦果を目の当たりにして軍事における革命(RMA)として重視し[21]、無人機の開発で急速に存在感を示すことになった[22][23]

日本では、ラジオコントロール式の無人ヘリコプターである遠隔操縦観測システム(FFOS)の開発を1988年に開始し、2004年に陸上自衛隊に導入された。


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