焚書
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フランス国王ルイ9世はこれを前向きに受け止め、キリスト教徒とユダヤ教徒に公開討論させ、馬車24台分1万冊に上るタルムードの写本をグレーヴ広場で燃やした。
コンキスタドールによる焚書ディエゴ・デ・ランダがマヤの神々の像を燃やすようすを描いた壁画(Fernando Castro Pacheco作)

スペインによるアメリカ大陸の植民地化で、アメリカ先住民によって書かれた多くの書物が焚書された。

ユカタン半島征服の際、司祭ディエゴ・デ・ランダの命令で27冊のマヤの写本と約5000体のマヤの神々の像が焼却された。この理由についてディエゴ・デ・ランダは「すべて迷信と悪魔に関するものであったために焼き捨てた」と記している。現存するマヤの写本は、大部分が破損したものを含めて4冊のみである。
ナチス・ドイツの焚書詳細は「ナチス・ドイツの焚書」を参照ナチス・ドイツの焚書(1933年

ナチス政権掌握後から組織的な焚書を行い、カール・マルクスなどの社会主義的な書物や、ハインリヒ・ハイネエーリッヒ・ケストナーハインリヒ・マンベルトルト・ブレヒトエーリヒ・マリア・レマルククルト・トゥホルスキーカール・フォン・オシエツキーなどの、「非ドイツ」的とみなされた多くの著作が燃やされた。

また、売れない画家としての前歴を持つアドルフ・ヒトラーは、それまでの芸術の規範を飛び越えた近代的な芸術を退廃芸術とレッテル貼りして嫌悪・弾圧し、それに代わって肉体美や農村などを美化した「古き良き」芸術を大ドイツ芸術展を開いて称揚した。
ルーマニアによる焚書

バルバロッサ作戦によってベッサラビアを占領したルーマニアは、図書館の蔵書を没収し、ルーマニア語以外の書籍をすべて焚書した。

ベッサラビアのルーマニア化政策の一環として、キシナウでは120万冊、ティラスポリでは25万冊を焚書。バルツィではルーマニア軍が15台の貨車に積まれた書籍を燃やした。書籍だけでなくレコードも対象となった。
日本の三ない運動詳細は「悪書追放運動」を参照

エロ・グロ雑誌の追放を主張した運動で、「見ない・買わない・読まない」という意味から「三ない運動」と名付けられた。民間団体が主導した様に見せかけられていたが、政府・警察組織が裏で手を引いていたことが知られている。

第3次吉田第1次改造内閣厚生大臣であった黒川武雄の妻で、赤坂少年母の会会長であった黒川博子が、身の回りにある問題雑誌・問題書籍をなくそうと主張して、35冊を焚書したのを皮切りに、母の会連合会が「悪書追放大会」を開いて約6万冊の雑誌やマンガが焚書されるに至るまでにエスカレートした。
チリの焚書詳細は「チリ・クーデター」を参照マルクス主義の書籍を焼くピノチェト派の兵士(1973年

アウグスト・ピノチェト陸軍大将率いる軍事政権による思想統制の一環として、マルクス主義関連の書籍を筆頭に、政権のイデオロギーに反する書籍は、新聞や雑誌に至るまで燃やされた。ガブリエル・ガルシア=マルケスの著書『戒厳令下チリ潜入記』は、刊行された約15,000冊が税関で押収・焼却された。
2010年クルアーン焼却論争詳細は「国際クルアーン焼却日」を参照

キリスト教の牧師テリー・ジョーンズによるクルアーンを燃やすパフォーマンスによって、中東や南アジアで暴力的な抗議が発生し、多数の死者を出した。

テリー・ジョーンズは2010年のアメリカ同時多発テロ事件の日にクルアーンを200冊焼却する計画を発表し、これを「国際クルアーン焼却日」と名付けた。この計画は実行には移さず、今後クルアーンを燃やさないとも宣言したが、翌年2011年、フロリダ州ゲインズビルの教会で「国際クルアーンを裁く日」(International Judge the Koran Day)と名付けたパフォーマンスを行い、教会の敷地でクルアーンを燃やした。更に翌年2012年、「国際ムハンマドを裁く日」(International Judge Muhammad day)と名付けたパフォーマンスを行い、預言者ムハンマドに見立てた人形とクルアーンを燃やした。
ロシアのウクライナ侵攻にともなう焚書

ウクライナに侵攻したロシアは、占領地の図書館の蔵書を押収・焼却・廃棄した。

ウクライナの歴史や文化に関する書籍、ソ連の弾圧に関する公文書などが狙われた。2014年ウクライナ紛争では、クリミア、ドネツク、ルハーンシクの図書館の蔵書が押収・廃棄されている。2022年ロシアのウクライナ侵攻では、マリウポリのペトロー・モヒーラ教会図書館は蔵書をすべて焼却され、プリアゾフスキー国立工科大学図書館では蔵書を廃棄された。
その他

ドイツの作家
ハインリッヒ・ハイネは、1821年の戯曲『アルマンゾル』(Almansor)の中で、スペイン異端審問によるクルアーンの焚書に言及し、「焚書は序章に過ぎず、本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる[注 2]」という警句を残した。

関連項目

禁書

発禁

悪書追放運動

船橋市西図書館蔵書破棄事件

焚書


エレミヤ書 - 第36章23節に、王が巻物を燃やす様子の記述がある。

焚書坑儒

ナチス・ドイツの焚書

国際クルアーン焼却日

虚栄の焼却

戦時・火災による焼失


破壊された図書館一覧(英語版)

アレクサンドリア図書館 - 紀元前47年 カエサルの包囲戦、3世紀アウレリアヌスの攻撃、391年異教徒の本を焚書、642年イスラームの侵略

アメリカ議会図書館 - 1814年の米英戦争での焼き討ち、1851年火災

ジャフナ公立図書館 - スリランカ内戦。1981年6月1日夜に群衆によって破壊。アジア最大規模の図書館一つと、97,000冊以上の書籍と写本が焼失した。

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 当時は、紙が発明されていなかったので、もっぱら木簡や竹簡に文章が書かれていた。そのため、壁に埋めて、上から塗りこめても書物が劣化する可能性は低かった。
^ Das war ein Vorspiel nur, dort wo man Bucher verbrennt, verbrennt man auch am Ende Menschen.

出典^ “Jonathan Zittrain: 'Digital books are under the control of distributors rather than readers'”. 2013年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月29日閲覧。

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