炭鉱
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露天掘りでは、砂子組が砂子炭坑三笠露天掘坑(三笠市奔別鳥居沢町)の他、三井系、三菱系がそれぞれ数社が採掘し北海道電力へ納入している。

製鉄産業および石炭化学工業、または蒸気機関車の隆盛と共に石炭産業が興隆した。最盛期には800以上の炭鉱があり、石狩炭田釧路炭田常磐炭田三池炭田筑豊炭田などの大規模な炭田を中心に、留萌炭田天北炭田西彼杵炭田唐津炭田大嶺炭田天草炭田北松炭田糟屋炭田などが知られていたが、後に安価な輸入品に押され、加えて石油へのエネルギー革命を転機に、多くの中小炭鉱が岐路に立たされ、姿を消していった。

筑豊炭田は大規模であったが、良質炭の涸渇による品質劣化や施設の老朽化などが急速に進んだため1975年昭和50年)までに500近くに上った炭鉱は全て姿を消した。

石狩炭田はスクラップアンドビルドを打ち出し、最新鋭技術の集積、高収益体制を行うなど効率化を図ったが、鉄鋼不況による骸炭の販売不振や一向に減らなかった炭鉱事故(後述)がとどめを刺し、1995年平成7年)に北炭空知(歌志内市)が閉山したのを最後に全てが閉鎖された。

三池炭田は品質の優れた瀝青炭が中心であり、最新鋭の技術を投じたため上述2炭田より長く稼動したものの、依然として輸入品より高額であり、国が火力発電所の燃料としての買い上げを打ち切ると、1997年(平成9年)に閉山に追い込まれた。また、九州で唯一残った池島炭鉱2001年(平成13年)に幕を下ろした。

露天掘りの炭田はいずれも最盛期の坑内掘りに比べて小規模な産炭場が多かったが、2010年代前後は原油高騰に加え、2011年に発生した福島第一原子力発電所事故の影響を受けて、石炭見直しの流れができた、しかし現状の大きな変化にはならず日本政府も脱石炭に舵を切り非効率な石炭火力発電を減らす方向に動いている[11]

多数の人員を必要とした坑内掘りと異なり、露天掘りは日本の建設機械技術の高度化の恩恵で簡単かつ安全に機械化ができ、露出していない石炭層の上部を開削して採掘が可能になった。また、炭じんやメタンによる大規模爆発の可能性も低くまた発生した際にも対処の困難性が段違いに低いため、人件費の高額な日本でも輸入炭に対する価格の不利が少ない。櫓の高さは約51m、深さは約735m、内径は約6mで、当時は東洋一の立坑と呼ばれた住友奔別炭鉱
中国「zh:Category:中国煤?」も参照

中国の炭鉱は、国営重点炭鉱、国営地方炭鉱、郷鎮炭鉱の3つに分類される[10]
国営重点炭鉱
国営重点炭鉱は従来中央政府の管轄下にあったもので、1998年の中央政府の石炭部(省)の石炭産業局への格下げに伴って省政府の管轄に移されたものをいう[10]
国営地方炭鉱
国営地方炭鉱は国営重点炭鉱以外の国有炭鉱のうち省や県が管轄しているものをいう[10]
郷鎮炭鉱
郷鎮炭鉱は地方政府のうち町や村などが管轄する炭鉱及び個人企業が経営している炭鉱をいう[10]。中国政府は1983年から郷鎮炭鉱の発展を奨励する政策をとっていた[10]。郷鎮炭鉱の規模は労働者が数千人の規模のものから数人規模のものまであるが個人企業が経営している炭鉱は通常10人以下の労働者で経営されている[10]
炭鉱での採掘法

地表近くに鉱床が存在する炭田では露天掘りが行われるが、それに適さない場合は地表から炭層まで坑道を掘り下げ、炭層に切羽という作業現場を作り採炭を行う「坑内掘り」が行われる。
露天掘り

露天掘りを参照。
坑内掘り
開発手法による分類

採掘区域の開発手法により、2種類の採掘法がある。
柱房式採掘法(ルーム・アンド・ピラー法
(英語版))
採掘区域の炭層を幅7-8mごとに切羽と炭柱に分け、碁盤目状に炭柱を残して採掘していく方法[12]。炭柱部分は天盤を支えるため採掘せずに残す場合が多い[12]。技術的には比較的難易度が低く、費用も低い[12]。炭層が厚く埋蔵量の多い炭田ではこの方法を採り続けた例が多く、アメリカの炭鉱で大規模に発達した。炭柱を残すため実収率が低い欠点があり、ドイツをはじめとする欧州や日本の炭鉱は後述の長壁式採掘法に移行した。
長壁式採掘法
採掘区域に20-200m程度の間隔で並行する2本の坑道(肩坑道と深坑道)を設け、その間の長い炭壁を切羽として一気に採掘する方法[12]。採掘跡は広大な空洞となり、そのままでは切羽に地圧がかかって危険となるため、採掘跡の天盤を発破で崩す(「ばらし」)、ズリ等を詰める(「充てん」)などの方法で地圧を軽減する対策が採られる。炭柱を残さず実収率が高いことから、欧州や日本の炭鉱で多く採用された[12]
採炭方法による分類ホーベル採炭機の例ドラムカッターと自走枠の例

切羽での採炭方法は、技術の発達により改良が重ねられた。主な採炭法を以下に示す。
手掘り
主につるはしを用いて人力で採炭する方法。つるはしは磨耗が激しくひんぱんに交換が必要となるため、採炭用には先端部のみを交換するように改良されたものが使用された。
ピック採炭法
圧縮空気で作動するコールピック(採炭用に改良された小型削岩機の一種)で採炭する方法。
発破採炭法
炭壁にドリルなどで穴を開けて爆薬を装てんし、爆破して崩すことにより採炭する方法。
ホーベル採炭法
切羽に沿って動作する炭壁切削刃(ホーベル)によって連続して炭壁を崩して採炭する方法[13]。ドイツで開発され、1950年代後期頃から日本の炭鉱にも導入された[13]。ホーベルの動作ガイドを兼ねてコンベアトラフが敷設され、ホーベルはこのガイド上で切羽に並行に往復動作を行う。ホーベルの切削刃が炭層に密着するようコンベアトラフは背後からシフター(空気圧または水圧ピストン)によって切羽に押し付けられ、切削によって切羽面が前進するとそれに合わせて機材全体も前進する。採炭と搬出を一連のシステムで行う機材として開発され[13]、後にカッター採炭法に発展した。ホーベル自体も、カッター採炭に適さない環境(炭層中に硬い珪化木が多い等)の炭鉱向けに使用が続けられ[13]、自走枠[14]との組み合わせ等の改良も行われた。
カッター採炭法
炭壁を機械的に破砕する重機(コールカッター)によって採炭する方法。コールカッターは元来、切削刃を植えたチェーンソー様式の機械で、発破の前工程として炭壁に切削溝(「透かし」と称する)を刻み込み、炭壁を崩しやすくする採炭補助機材であった[13]。その切削部を、円筒型の回転体にスパイラル状に切削刃を植えたドラムカッター様式とし、カッター自体で連続的に採炭を行うよう改良されたものが開発され、さらに、ホーベル採炭機の炭壁切削部をこのドラムカッターに置き換えてコンベアトラフと組み合わせた採炭・搬出システムに発達した。ホーベルの場合と比較して一度に削り取る幅が大きく、より効率的となっている[13]。その後、採炭現場を保護する鉄柱・鉄梁(「カッペ」)を一体化した自走枠[14]システムとも組み合わせることで機械化採炭システムへと発達し[15]、1980年代頃には日本の主要炭鉱の多くがこの発達型を採用していた。炭鉱によってはSD採炭法とも称された。
水力採炭法
ノズル(「モニター」と呼ばれる)からの高圧放水により炭壁を破砕して採炭し、破砕した石炭をポンプで水とともに流送して坑外に搬出する採炭方法[16]。旧ソ連で開発・実用された。日本にも技術導入され、炭層が急傾斜である等採掘条件が厳しい炭鉱(三井砂川炭鉱など)で採用された。

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炭鉱の構造(坑内掘りの場合)住友奔別炭鉱立坑櫓

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炭鉱は石炭の採掘地に作られるものであるが、石炭の分布、すなわち炭層は幾重にも重なっている。したがって採炭条件もそれにしたがい、採炭地である切羽の場所も深層化していく。そのため、人員、採掘機具、あるいは排水や通風のための道を開ける必要もあり、最低二本以上の主要坑道を掘っていく。この坑道には人員を載せる人車、採掘した石炭を乗せる炭車を走行させる。

掘り方によって立坑、斜坑、水平坑などと呼ばれるが、日本では斜坑が多く、継ぎ接ぎされて段重ねになっていた。1961年(昭和36年)での日本の炭鉱における平均切羽深度は地下250mである。ところが、日本より早く採炭が進んだイギリス、ドイツでは750mにも達していた。これは前述の長壁式採掘法の発展と関係しており、労働の集約、産炭の効率化を図った結果であり、ルール炭田では特に優れた合理化システムが確立していた。しかし、日本では後に斜坑での限界を感じ、立坑にシフトしている。これは日本の炭鉱が地層の年代が相対的に若く、そのため地形が褶曲(しゅうきょく)し、採掘が困難であるほか、ガスや水が多く含まれているため、それによる品質の劣化、あるいは大規模な事故を幾度となく体験してきたためである。
炭鉱構造発展の歴史

露頭採炭から沿層の地下採炭に移るにつれて、湧水と可燃性ガスが問題となった。これらは初期の技術力では、炭坑の寿命を決定する最大の要因になっていた。したがって排水の機械化と換気体系の成立は、深層採炭の前提条件であった[17]


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