現在では明かりの主力は電気であるが、蝋燭は宗教行事では多用する上、薪能のように松明の明かりの雰囲気を楽しむ例もある。 生活用熱源としての火の利用は、暖房と調理が主なものだった。たき火は暖を取るためにも使えるが、炎が大きいとあまり近寄ることができない。むしろ炎が小さくても長くじっくり燃える小さな火が望ましい。燃えても炎が出ない炭はそのために有効だったと考えられる。さらに火を弱く長持ちさせるために灰に埋める方法がとられた。 部屋全体を暖かくするような暖房には、より激しく燃える火が必要になる。しかし室内で炎が上がるのは危険なので、火を閉じこめた上で激しく燃やすためにストーブや暖炉が作られた。液体燃料や気体燃料は、それを十分安全に供給する仕組みが発達するまでは利用されなかった。現在ではむしろこちらが主力である。電気はこちらではそれほど燃料の代替をしていない。 食物の加工に火を利用するようになったのは山火事などで逃げ損ねた動物の焼けた肉を食べたことなどがあったのではないかといわれている[21]。食物を火で加熱することを覚えたことは、人類にとって重大な進歩だった。単に火を通すことで食味が良くなるだけではなく、それまで生では食べることの困難だった穀物や豆、芋など多くのものが食用可能になり[22]、さらに動物の肉や魚などに火を通すことで寄生虫や病原菌の危険なしにこうした食物を摂取することができるようになった。こうした加熱消毒は現代においても調理の重要な一側面である[23]。土器が出現すると、食材と水を入れて加熱することで煮ることが可能になった。さらに金属器が登場すると食材をより効率的に加熱することが可能となり、油で炒めたり揚げるといった調理法も開発された[24]。 20世紀になると、電磁調理器や電子レンジなどの登場で、火を使わない加熱調理が可能となった。 山火事などで焼けた土地には草原ができ、これは草食動物のエサ場となり、当時まだ狩猟のみに頼っていた人類においては見逃せないほどの食糧供給の増大をもたらした。山火事が幾度も繰り返されるうちに人々はこのことに気づき、こうして人類の一部は適当な時期を見計らって野焼きを行って人為的に草原を維持するようになった。やがて森林地域においてもこの方法が持ち込まれたが、立木や生木を燃やすのは困難を極めるので、あらかじめ木を切り倒しておき、それを乾燥させてから火を放つようになった。さらに農業がこの地域に持ち込まれると、この野焼きによって空いたところに穀物や芋などを植え、畑とするようになった。これが焼畑農業の起源とされている[25]。火を放つことによって地面に残された灰は良い肥料となり、このため焼畑を行った土地においては数年間は良い収穫を得ることができた[26]。やがて地力が落ちてくるころになると畑は放棄され、新たな土地の木を切り倒してそこを新しい畑とする。放棄された畑には数十年後には再び森林が生い茂り、数か所を回ってきた人間がふたたびそこに火を放って畑にするといった形で循環がおこなわれていた[27]。焼畑農業は現代においても熱帯地域を中心に広く行われているが、サイクルが短くなったため地力の消耗を招き、また森林火災を招き地球温暖化にも悪影響をもたらすとされ、しばしば問題となっている[28]。 また、焼畑以外にも火を農業に利用する例はある。日本においては収穫後の水田に火を放って枯れた収穫後の稲や藁を燃やす、いわゆる火入れが行われることがあるが、これは害虫の駆除と燃えた後の灰を肥料化するという二つの目的で行われている。 火は、高熱によって物質の状態を変化させることができるため、この性質を利用してさまざまな工業に利用されてきた。こうした用途における最も古い利用法は粘土を焼いた、いわゆる土器の焼成である。土器はより高い温度で焼き上げると陶器、さらには磁器となり、より硬度を増すようになった[29]。土器に次いで、人類は金属の精錬を覚えた。まず最初に開発されたものは融点の低い銅の利用であり、やがて錫と混ぜ合わせることで硬い青銅を作り上げることができるようになった。青銅の利用は人類を石器時代から一段階進歩させ、青銅器時代という一時代となった。さらにその後、人類は鉄を精錬できるようになり、鉄器時代が始まった[30]。その後も火は工業にとってなくてはならないものであり、各種工業において広く使われている。 火は歴史上様々な形で戦争に利用されてきた。古くは狩猟採集社会で、野原や森林を焼き払うことで敵を傷つけ食料を得にくくするなど、火は人類がその制御に関する知識を得たころから戦争に利用されている[要出典]。ホメーロスの『イーリアス』には、トロイの木馬に隠れていた兵士たちがトロイを焼き払う様子が描かれている。東ローマ帝国では戦争にギリシア火薬を用いた。第一次世界大戦では歩兵が初めて火炎放射器を使い、第二次世界大戦ではそれを車両に装備した。
暖房
調理
豚のまる焼き
焼き魚
肉を焼く
農業
工業
兵器・武器1943年7月、焼夷弾を投下された後のハンブルク市街。約5万人の一般市民が亡くなった[31]
Size:61 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef