火葬
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但し、妊娠6ヶ月以下の胎児は対象外であるほか、感染症法30条の規定により、同法で定められている一類から三類までの感染症や、新型インフルエンザ新型コロナウイルス等の感染症による死亡の場合は遺体からの感染を防止する観点から、24時間以内の火葬が許可されている。この場合は火葬終了後に葬儀を行うなど、通常の葬儀とは逆の順序になる。(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律の項および関連法令条文を参照)。

また、火葬を行なう場合には、当該死体に係る死亡届等を受理した市町村長の許可が必要である(墓埋法第5条)。この許可を受けずに火葬した場合には、墓埋法違反となるほか(「罰則」規定同法第21条)、刑法第190条「死体遺棄死体損壊罪」の刑罰に問われる行為である。このため、火葬許可証は火葬場に提出する必要があり、これがないと火葬を拒否される。火葬終了後は火葬証明書として扱われ、納骨の際にも必要となる。

仏式では、火葬の後の「焼骨」は骨壷に収(拾)骨して、土中に埋蔵(日本の法律では火葬後の焼骨を土中に安置することを「焼骨の埋蔵」と定義している)するか、納骨堂等に収蔵されることになる(墓地、埋葬等に関する法律第2条)。したがって火葬は「葬儀の手段の一つ」というよりも、葬儀の一過程であるという考え方もある。または、死体の減容化処理、安定化の一方法と言うことも出来る。なお、墓埋法では土葬など、火葬以外の方法を禁じてはいないが、環境衛生面から行政は火葬を奨励している。特に東京都(島嶼部以外では八王子市町田市国立市など10市2町1村を除く)や大阪府などでは、条例で土葬を禁止している。

散骨される場合もあるが、北海道長沼町など、都道府県または市町村の条例により禁止・規制している地域もある。
皇族の火葬

平安時代前期から近世前期にかけては、天皇、皇族の埋葬方法は仏教の影響から火葬が主流であった。近世後期以降、皇族の埋葬方法は土葬とされた。1617年に崩御した後陽成天皇[18]を最後に火葬の制は(一旦)取りやめとなった。巨大な陵(墓)を築き土葬する古代様式に復されたのは奥八兵衛の逸話に見て取れるように、幕末期の1867年(慶応2年)に崩御した孝明天皇以降である。

その後、明治以降から昭和前期までは皇族の埋葬方法は基本的に土葬で、天皇も後水尾天皇以降は昭和天皇に至るまで土葬が続いた。しかし昭和中期以降、陵に葬られる天皇皇后を除く皇族は、本人(もしくは遺族)の希望等で火葬される例が増えていき、その最初の例となった秩父宮雍仁親王以降、皇族の身分のまま薨去した者(親王妃含む)は最新の事例である2016年10月に薨去した三笠宮崇仁親王に至るまで全員が火葬されている。秩父宮夫妻や高松宮夫妻については夫婦合葬されている。

天皇皇后については土葬とされていたが、2012年4月26日、宮内庁は天皇や皇后崩御した際の埋葬方法を、当時の天皇だった明仁および皇后だった美智子の意向により、旧来の土葬から火葬に変える方針で検討すると発表[19]、儀式面の変更について検討に入った。

宮内庁の説明によれば、この検討開始は前年秋の上皇后美智子の誕生日における、記者団からの質問をきっかけとしたものであった[20]。上皇后は即答することは避けたものの、前々から自分たちの葬制については話し合いを持っており、上皇はこれを機会として宮内庁に検討を要請したという[20]

上皇はいずれ自らが葬られることになる武蔵陵墓地に、自分たちを含めて少しでも多くの被葬者を収容できればとの意向をもっていた。しかし敷地は限られており、火葬であれば陵の用地を縮小できるので、被葬者数の増加が実現できるのではないかと考えたという[20]

そして2013年11月14日、検討を終えた宮内庁は、上皇と上皇后の葬儀を火葬とすることを発表した[20]。皇太子だった徳仁秋篠宮文仁親王などの皇室関係者の了承も得ている[18]。火葬は武蔵陵墓地に設置される専用の設備を使って行われることとされた。同時に両者の陵の予定地も大正天皇陵の多摩陵の西側に定められた[20]

上皇后との合葬も上皇は希望していたが、上皇后が恐れ多いとして辞退を申し出たことに加え、先立った方の祭祀が後から崩御した方の葬儀行事中には行えないという技術的理由もあって、取りやめとなった[20]。しかし陵は完全に隣り合わせに造営されることとなり、皇族拝所などの設備は別々に設置されるものの、一般拝所については境界は設けられず、一体的に整備される[20]。これらの変更により、当初の意向通り、陵のサイズ及び兆域が大きく縮小されることとなった。
多死社会の到来

団塊の世代全てが75歳以上になる2025年には、年間死亡者数は140万人を超えると推測される。このため火葬場不足が深刻化し、葬儀・火葬・埋葬ができない、いわゆる“葬儀難民”問題が到来することが懸念されている。

1988年には全国に1900以上あった火葬場が2016年時点には統合・大型化の影響などで1500に減少し、死者の数がピークに達する2025年には、東京近郊などの都心部を中心に、火葬能力が追い付かない事態が想定され、首都圏では火葬まで1週間待ちなどの事態も生じている。

しかしながら、火葬場の新設に対しては周辺住民の反対運動が多く、建設がスムーズには進みにくい。一方、火葬場不足をチャンスととらえた「遺体ホテル」などの新ビジネスが生まれている。埋葬場所の不足も深刻で、東京都では8ヵ所の都立霊園の申し込み倍率は20-30倍となっている[21]

生活困窮者が死亡した際の火葬代などとして厚生労働省が支給する葬祭扶助費の総額が、2021年度には全国で約104億円に及ぶことが明らかになっている。困窮する独居高齢者の増加のほか、故人の引き取りを拒否する親族の増加が背景にあるとされ、多死社会における公的支援のあり方が問われている[22]


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