火垂るの墓
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あの子の声やから、最後の節子が死にそうになるところで、思わず素直にセリフが出てしまったのかもしれません」と述べている[41]
キャスト

公開当時、清太の声を担当した辰巳努は16歳1カ月、節子の声を担当した白石綾乃は5歳11カ月で、共に作品舞台と同じ関西地区の出身者である。清太、節子の母の声を担当した志乃原良子も大阪出身であり、他にも、同じ関西が舞台である高畑勲の作品『じゃりン子チエ』に出演経験のある山口や表淳夫も含めた関西出身の俳優が多数出演しており、通常のアニメで起用されている俳優・声優はほとんど起用されていない。
清太(せいた)
声 - 辰巳努本作の主人公。14歳(旧制中学3年)。通っていた神戸市立中(旧制)や、学徒動員先であった神戸製鋼所が空襲により全焼。家も焼け出され、母も死去し、幼い妹・節子と共に西宮の親戚の家に行くが、叔母と折り合いが悪くなり自由を求めて節子と共にその家を出る。衰弱する節子に食べ物を与えるため盗みをするなど必死になるが、栄養失調で節子を失い、1945年(昭和20年)9月21日夜、清太自身も三ノ宮駅構内で栄養失調で衰弱死した。同時に節子の遺骨が入ったドロップの缶は駅員に放り投げ出されていった。アニメ映画では死の直前、意識が朦朧としても節子のことを考えていた[注釈 14]。節子の死後は添い寝をするときも火葬する際にも無表情なのは清太の人間性の消失を描いている。盗みを始めた理由についてアニメ絵本では節子が病気になりかかっているので「なんとかしなければならないと思ったため」という旨の記述がある。原作小説では、清太の亡骸は死の翌日夜「ほかに二、三十はあった浮浪児の死体と共に」「布引の上の寺」で荼毘に付され、無縁仏として納骨堂へおさめられた。
節子(せつこ)
声 - 白石綾乃本作のヒロイン。4歳。清太の妹。母の言葉や着物を覚えている[注釈 15]。清太から母が亡くなったことは聞かされず、病院に入院していると誤魔化されていたが、中盤で、実は叔母から母が既に亡くなったことを聞き、知っていたことが判明する。栄養失調から来る衰弱で、体に汗疹疥癬ができ、髪にはがつき、何日も下痢が続いていた。その影響で徐々に目も虚ろになり焦点もあっておらず、死の直前は清太の言葉もほとんど通じていなかった。この際、おはじきをドロップと思って舐めたり、石を御飯だと勘違いするほど思考力が落ちていた。スイカを食べた後、目を覚ますことはなく息を引き取った。彼女の遺体は清太によって大事にしていた人形、財布などと共に荼毘に付され、遺骨はドロップの缶に納められた。ドロップが好きで、手持ちを全て食べつくし、衰弱し何を食べたいかを聞かれ最後に「またドロップ舐めたい」と語っていたが叶うことはなかった。アニメ絵本で清太は節子を荼毘に付す直前、「もう一度ドロップ舐めさせてあげたかった」と述懐している。原作小説では過去の平穏な暮らしの思い出としてさまざまな食べ物が語られてはいるが、特にドロップが象徴的に取り上げられているわけではない。
清太・節子の母
声 - 志乃原良子兄妹の母親。心臓が悪い(原作においては節子を出産した後に心臓病を患ったと説明されている)。気立てのよい、上品な美人。2人より先に防空壕に行こうとしていた際に空襲に被災、全身に大火傷を負い重篤となる。包帯も取れない状態で、腕の一部が焼け蛆虫がついており、清太が駆けつける直前に昏睡状態に陥り、そのまま死亡。清太は節子に真実を話すことができず、「西宮の回生病院に入院している」ことにしている。なおアニメ映画では、清太は母の遺骨を納めた箱を叔母の家に着いた直後に庭に隠した。原作小説では棚の上の戸袋に隠し、中盤で母の死が節子に知れてからは、母の遺骨は布引町近くの春日野墓地に埋葬されていると節子に告げ、まだ防空壕の中にあるにもかかわらず清太はそういう希望を語っている。清太が持っていた7,000円の貯金は「母がもしもの時のために銀行に預けてくれていたものである」と劇中では言及。なお、清太が泥棒で捕まり、殴られた際に節子が清太にかけた言葉は、原作では「母の口調」とあり、アニメ絵本では「母が昔、節子が泣く度に言った台詞」と書かれている。母親の登場シーンは事実上、冒頭のみで後は回想シーンなどで登場する。清太が回想した母と節子と海に行った場面は劇中では特に説明がないが、アニメ絵本や原作の記述によると1年前の出来事とされている。
清太・節子の父
兄妹の父親で海軍大尉。戦争に出征しているため、劇中では写真と回想シーンでのみ登場する。清太は、節子が生まれる前に観艦式を見たことがあると語った際に、父が巡洋艦「摩耶」に乗っていたこと、観艦式が「連合艦隊勢揃い」であったことを話している(映像描写においては、夜間に行われた観艦式の華やかさと、そこに父の乗艦が参加していることが描かれ、父の袖章は大尉を示している。清太の記憶や想像の映像化であるか、清太が節子に話した内容の映像化であるかは曖昧なものとなっている)。清太が手紙を出しても連絡が着かなくなっていたが、終戦後、父の乗った連合艦隊は全滅していたことが判明する。明確な生死は不明。原作小説においては、「昭和十年十月の観艦式」当時に巡洋艦摩耶に乗り組んでおり、清太が六甲山中腹から大阪湾の連合艦隊の中に「摩耶特有の崖のように切り立った艦橋の艦」を探したが見つからなかったという回想的描写がある。1945年(昭和20年)夏の物語現在時点で父は「海軍大尉で巡洋艦に乗組んだまま」音信不通となり、「呉鎮守府気付」で出した手紙にも返事は来ない。父が乗り組んだとされる「摩耶」は実在する巡洋艦(高雄型重巡洋艦3番艦)である。大阪湾における観艦式は1936年(昭和11年)10月に行われ、神戸では歓迎のために原作やアニメで描かれたような電飾もなされたが、観艦式そのものは夜間ではなく昼間に行われたものであり、また「摩耶」は参加していない。なお「摩耶」は1944年(昭和19年)10月のレイテ沖海戦で沈没している。ただし、アニメにおいても原作小説においても、最後に父が乗り組んだ艦の名は明示されていない。設定資料では帽子を取った姿や、着物姿も描かれている。
親戚の叔母さん
声 - 山口朱美西宮在住(原作小説で西宮郊外の満池谷と記されている)。清太と節子を一時的に引き取る。当初はうまくいっていたが、次第に諍いが絶えなくなる[注釈 16]。清太と節子を預かることは清太の言及によると約束になっていたようであり、叔母の言動から母も叔母の家に疎開する予定だった模様である。原作ではお互い空襲で家が焼けたら身を寄せ合う約束だったと記され、アニメ絵本でも、状況によっては叔母が清太達の家に疎開する可能性の旨も示唆されている。勝手に出て行ったのは清太達で叔母は直接的に追い出す言動は取っていないが、引き止めもしていない。その際「体に気をつけて」と声をかけてはいる。原作小説では「小母さん」と表記されており、「未亡人」と言及されることが多い。清太の「父の従弟の嫁の実家」という「遠い親戚」にあたる(4年前に「父の従弟の結婚」の「候補者の身もと調べ」のために母と共に満池谷を訪れ、未亡人宅を遠く眺めたことがあるという記述もあり、「未亡人」は従弟の妻ではない。なお「さらに近い縁戚」が神戸にいたが、空襲後連絡が取れないという)。原作小説ではアニメよりも性格がきつく、二人につらく当たる人物として描かれており(ただし文体の特性上、客観的叙述か清太の主観的な語りかは曖昧である)、オルガンの一件の後で二人に対し「ほんまに疫病神がまいこんで来たもんや」と怒鳴り立て、空襲警報が鳴るたび不安になって池のほとりの横穴に逃げ込む二人に対して「そんなに命惜しいねんやったら、横穴で住んどったらええのに」と言い放つ。
叔母さんの娘
女学生。三つ編みの清楚な風貌の少女。節子に下駄をプレゼントする。母が自分達の食器にだけ雑炊をまともに盛ったのに対し、清太と節子にはほとんど雑炊の汁しか与えなかった際は、居心地の悪そうな素振りを見せる描写がある。
叔母宅の下宿人
学生。眼鏡をかけた、真面目そうな青年。劇中で名前は呼ばれておらず絵コンテ集で確認できる。叔母に愛想を尽かされ庭で煮炊きする清太と節子を見て、気の毒がる素振りをするが、下宿人という立場からか積極的な擁護まではしなかった。叔母のセリフでは勤労奉仕に熱心に参加している模様。原作小説では、「未亡人」の家には娘と、商船学校[注釈 17]在校中の息子・幸彦と、神戸税関に勤めている下宿人がおり、下宿人は闇の食料ルートに詳しく缶詰などを持ってきて、叔母の娘の気を引こうとしている。


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