火垂るの墓
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作中で画面が赤くなる時は、清太と節子の幽霊が登場し近くで見ており、記憶を何度も繰り返し見つめていることを意味し、阿修羅のように赤く演出されている[40][注釈 10][注釈 11][注釈 12]。ただしアニメ絵本ではこの部分は大幅に省略され、ラストで現代の神戸の街を見ている2人が赤い状態の幽霊であることを示唆する場面があるのみである。アニメ絵本は概ね映画本編を忠実になぞっているが、唐突に出てきたセリフ・行動・場面など説明がなされている。
収録現場

節子役は「節子と同年輩で関西弁の子役」という監督の要望のもと、オーディションが行われ[15]、当時5歳の白石綾乃が選ばれた。製作委員会のプロデューサーの村瀬拓男によると、白石の声の録音テープを初めて聞いた高畑は、イメージ通りの声に思わず「節子がいる!」と興奮したという[15]。起用後白石は、マネージャーから口伝えにセリフの指導を受けてから、(声の収録後に絵を完成させる)プレスコで収録を行った[41]。志乃原は白石について「本当にいい子でした」と述べている[42]。プレスコによる収録方法は、高畑の「演者の発声のタイミングやアクセント、息づかいまで絵作りに活かしたい」との思いがあった[注釈 13]

幼かった白石はセリフの意味がまだよく分からず、収録開始時はシーンやセリフ内容に関係なくとにかく元気よく発声していた[15]。そこでスタッフたちは明るいシーン以外では、意図的に白石に同じセリフを何度も繰り返させ、疲れて声に力がなくなってきた頃にようやくOKテイクが録れるという形で収録した。この結果上記のような節子のセリフは、ほぼ毎回20?30テイクも録音した[15]。このため収録時に白石が時々泣き出すことがあったが、そういう時は清太役を演じた辰巳努が自然となだめ、その様子を見たスタッフから「本当の兄妹のようだ」と評された[15]。後日、本作の収録を振り返った辰巳は、「あの子(白石)のおかげでだいぶやりやすかった。あの子の声やから、最後の節子が死にそうになるところで、思わず素直にセリフが出てしまったのかもしれません」と述べている[41]
キャスト

公開当時、清太の声を担当した辰巳努は16歳1カ月、節子の声を担当した白石綾乃は5歳11カ月で、共に作品舞台と同じ関西地区の出身者である。清太、節子の母の声を担当した志乃原良子も大阪出身であり、他にも、同じ関西が舞台である高畑勲の作品『じゃりン子チエ』に出演経験のある山口や表淳夫も含めた関西出身の俳優が多数出演しており、通常のアニメで起用されている俳優・声優はほとんど起用されていない。
清太(せいた)
声 - 辰巳努本作の主人公。14歳(旧制中学3年)。通っていた神戸市立中(旧制)や、学徒動員先であった神戸製鋼所が空襲により全焼。家も焼け出され、母も死去し、幼い妹・節子と共に西宮の親戚の家に行くが、叔母と折り合いが悪くなり自由を求めて節子と共にその家を出る。衰弱する節子に食べ物を与えるため盗みをするなど必死になるが、栄養失調で節子を失い、1945年(昭和20年)9月21日夜、清太自身も三ノ宮駅構内で栄養失調で衰弱死した。同時に節子の遺骨が入ったドロップの缶は駅員に放り投げ出されていった。アニメ映画では死の直前、意識が朦朧としても節子のことを考えていた[注釈 14]。節子の死後は添い寝をするときも火葬する際にも無表情なのは清太の人間性の消失を描いている。盗みを始めた理由についてアニメ絵本では節子が病気になりかかっているので「なんとかしなければならないと思ったため」という旨の記述がある。原作小説では、清太の亡骸は死の翌日夜「ほかに二、三十はあった浮浪児の死体と共に」「布引の上の寺」で荼毘に付され、無縁仏として納骨堂へおさめられた。
節子(せつこ)
声 - 白石綾乃本作のヒロイン。4歳。清太の妹。母の言葉や着物を覚えている[注釈 15]。清太から母が亡くなったことは聞かされず、病院に入院していると誤魔化されていたが、中盤で、実は叔母から母が既に亡くなったことを聞き、知っていたことが判明する。栄養失調から来る衰弱で、体に汗疹疥癬ができ、髪にはがつき、何日も下痢が続いていた。その影響で徐々に目も虚ろになり焦点もあっておらず、死の直前は清太の言葉もほとんど通じていなかった。この際、おはじきをドロップと思って舐めたり、石を御飯だと勘違いするほど思考力が落ちていた。スイカを食べた後、目を覚ますことはなく息を引き取った。彼女の遺体は清太によって大事にしていた人形、財布などと共に荼毘に付され、遺骨はドロップの缶に納められた。ドロップが好きで、手持ちを全て食べつくし、衰弱し何を食べたいかを聞かれ最後に「またドロップ舐めたい」と語っていたが叶うことはなかった。アニメ絵本で清太は節子を荼毘に付す直前、「もう一度ドロップ舐めさせてあげたかった」と述懐している。原作小説では過去の平穏な暮らしの思い出としてさまざまな食べ物が語られてはいるが、特にドロップが象徴的に取り上げられているわけではない。
清太・節子の母
声 - 志乃原良子兄妹の母親。心臓が悪い(原作においては節子を出産した後に心臓病を患ったと説明されている)。気立てのよい、上品な美人。2人より先に防空壕に行こうとしていた際に空襲に被災、全身に大火傷を負い重篤となる。包帯も取れない状態で、腕の一部が焼け蛆虫がついており、清太が駆けつける直前に昏睡状態に陥り、そのまま死亡。清太は節子に真実を話すことができず、「西宮の回生病院に入院している」ことにしている。なおアニメ映画では、清太は母の遺骨を納めた箱を叔母の家に着いた直後に庭に隠した。原作小説では棚の上の戸袋に隠し、中盤で母の死が節子に知れてからは、母の遺骨は布引町近くの春日野墓地に埋葬されていると節子に告げ、まだ防空壕の中にあるにもかかわらず清太はそういう希望を語っている。清太が持っていた7,000円の貯金は「母がもしもの時のために銀行に預けてくれていたものである」と劇中では言及。なお、清太が泥棒で捕まり、殴られた際に節子が清太にかけた言葉は、原作では「母の口調」とあり、アニメ絵本では「母が昔、節子が泣く度に言った台詞」と書かれている。母親の登場シーンは事実上、冒頭のみで後は回想シーンなどで登場する。清太が回想した母と節子と海に行った場面は劇中では特に説明がないが、アニメ絵本や原作の記述によると1年前の出来事とされている。
清太・節子の父
兄妹の父親で海軍大尉。戦争に出征しているため、劇中では写真と回想シーンでのみ登場する。清太は、節子が生まれる前に観艦式を見たことがあると語った際に、父が巡洋艦「摩耶」に乗っていたこと、観艦式が「連合艦隊勢揃い」であったことを話している(映像描写においては、夜間に行われた観艦式の華やかさと、そこに父の乗艦が参加していることが描かれ、父の袖章は大尉を示している。清太の記憶や想像の映像化であるか、清太が節子に話した内容の映像化であるかは曖昧なものとなっている)。清太が手紙を出しても連絡が着かなくなっていたが、終戦後、父の乗った連合艦隊は全滅していたことが判明する。明確な生死は不明。原作小説においては、「昭和十年十月の観艦式」当時に巡洋艦摩耶に乗り組んでおり、清太が六甲山中腹から大阪湾の連合艦隊の中に「摩耶特有の崖のように切り立った艦橋の艦」を探したが見つからなかったという回想的描写がある。


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