火垂るの墓
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^ 清太・節子一家が住んでいたとされるのは、武庫郡御影町大字御影字上中・字上西。現在の神戸市東灘区御影本町六丁目・八丁目あたりである。
^ 貯水池は、現在の夙川公園北東部付近にある貯水池(ニテコ池)がモデル。防空壕は、ニテコ池のほとりに実在した壕。野坂自身もたびたび避難したという。
^ 本来映画用語では"アフレコに際して絵も全くなく担当する部分を色の線の長さや形状等で示した状態での収録"を指す。なお画像を全く持たない状態からの収録をするプレスコでは極普通の手法である。
^ アニメ用語では本来"彩色のない原動画を絵コンテ等に合わせて完成アニメと同じタイミングで撮影したもの"を指す。
^ 新潮社との契約が満了した2008年(平成20年)8月以降はブエナビスタから再発売された。2012年(平成24年)4月にはBlu-ray Disc版が発売された。
^ ただし、空襲時の警防団員の描き分けや警察官の制服の生地色や正肩章の装着、佩剣が乗馬勤務者用のものであり釣環の数も多い、略帽を着用していないなど、資料が偏る傾向もみられる。
^ 文化人形の一種。本作ではボンネットにピンク色の服を着た、節子のお気に入りの人形として登場
^ 『小さなユリと』に描かれていたのは、入院中の妻に代わって幼い子供の面倒を見る父親の様子だった。育児という慣れない状況に戸惑い自分を情けなく思う父と、無邪気な子供。山本は、この父子の関係性に清太と節子を重ねて読んだという
^ 『蛍』、『焼夷弾』、『母の遺骨』、『幽霊となった節子(清太に触れる瞬間)』など清太の視点で死を象徴するものは赤く光った描かれ方をしている。
^ 冒頭に出てくる2人と、新しくなるドロップの缶は幽霊になったイメージ、幽霊の節子が三宮の駅で倒れる過去の清太の所に行こうとしたのをもう1人の清太が制止するのは「自分も(幽霊になり)ここにいるから心配しなくていい」という意味、電車に乗り叔母の家まで行くのは「過去を思い出しに行く」とも言えるシーンで、「死人に口なし」ということもことわざもあるように幽霊の清太は冒頭とラストを除きしゃべらない。
^ 宮崎駿は稲葉振一郎『ナウシカ読解』インタビューで「幽霊というのは死んだ時の姿で出てくるのでガリガリに痩せてお腹が減った状態で出てこないとおかしい」と幽霊の2人の状態に矛盾を指摘しているが、この矛盾点について、著書「出発点」270Pでは、兄妹が先に死んだ母の幽霊と出会っていないことをあげ、考察を行っている。ここで宮崎は兄妹の幽霊の姿について「二人は幸福な道行きの瞬間の姿のまま、あそこにいる」「二人の絆だけで完結した世界に、もはや死の苦しみもなく、微笑みあい、漂っている」のだと述べている。
^ 日本のアニメの収録では、出来上がった絵に後から声を当てるアテレコが一般的とされる[15]
^ 節子と海に行った帰りにおんぶを要求された際にはうんざりした様子でため息をついている。
^ 近藤喜文が書いたイメージボードでも家から持ってきた荷物を整理する清太の横で母のおべべ(着物)を大事そうに抱く節子が描かれている。
^ 実際の野坂が疎開した先の叔母は映画のように態度が悪くなっていない。
^ 史実において、当時神戸に所在していたのは商船学校ではなく、高等商船学校(高等商船学校神戸分校。神戸商船大学の実質的な前身)である。
^ 1996年8月23日にも放送予定であったが、渥美清の逝去による放映作品変更の影響で翌年に延期となった(8月23日には8月9日に放映予定であった『スタンド・バイ・ミー』に差し替え)。
^ 終戦記念日である8月15日に放送した事例はない(4回目の放送は8月15日が金曜日になる年であったが、1週間早い8月8日に前倒しで放送されている。また、7回目の放送では同じく8月15日が金曜日になる年であったが、1週間遅い後送りで放送されている。)。
^ 軍隊や戦闘が演出される作品は他にもあるが、太平洋戦争など、史実に伴う戦争を取り扱った作品は当作のみ。ただし「風立ちぬ」や「君たちはどう生きるか」などにも太平洋戦争が語られている。
^ 9回目は清太の命日にあたる9月21日に放送されている。
^ 13回目は高畑の死去に伴う緊急追悼放送のため、例外的なケースである。
^ この日放送予定だった『名探偵コナン から紅の恋歌』は4月20日に、20日に放送予定だった『パシフィック・リム』は5月11日に、それぞれ延期となった。
^ 原作者の野坂の没後としても初放送。
^ 綿矢りさの『かわいそうだね?』に『火垂るの墓』への言及があり、この映画を小さい時に観てトラウマになっているという。
^ ニテコ池へは阪神西宮駅より阪神バスの山手線もしくは鷲林寺線で「満池谷(まんぢだに)」下車すぐである(ここには巨大な墓地と火葬場がある)。舞台の1つである阪急三宮駅神戸阪急ビル)は阪神・淡路大震災により建物が全壊し、別設計の駅舎が再建されている。
^ これは原作においても過去を思い出す人物がいないとは言え、清太が亡くなるところから始まるので、現在進行形での展開はその意味でも初めてでもある。
^ 家に預かるということを、原作やアニメ映画版とテレビドラマ版では最初から承知していたが、実写映画版はなぜか知らなかった様子である。

出典^ 『シネマトゥデイ』(2012年11月24日付)
^ 徳永淳 2020, pp. 27, 35.
^ 徳永淳 2020, p. 35.
^ a b 徳永淳 2020, p. 36.
^ 徳永淳 2020, pp. 35?36.
^ 徳永淳 2020, p. 38.
^ a b 尾崎秀樹「解説」(文庫版『アメリカひじき・火垂るの墓』)(新潮文庫、1972年。改版2003年)
^ a b c d e f g h i j 「第58回直木賞(昭和42年度下半期)選評」(オール讀物 1968年4月号に掲載)
^ 朝日新聞デジタル - 「火垂るの墓、原点の地 野坂昭如さん過ごした防空壕確認」 編集委員・永井靖二 2016年12月2日10時05分
^ a b c d 野坂昭如「私の小説から 火垂るの墓」(朝日新聞 1969年2月27日号に掲載)。のち『アドリブ自叙伝』(筑摩書房、1980年。
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