灌仏会
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葛飾北斎・画。『釈迦御一代記図会』(1839年)より

日本では、様々な草花で飾った花御堂(はなみどう)の中で、甘茶を満たした灌仏桶の中央へ安置した誕生仏像に柄杓で甘茶を掛けて祝うが、釈迦生誕時に産湯を使わせるために9つの竜が天から清浄の水を注いだとの伝説に由来[5]する[注 1][6]。8、9世紀当初は寺院、宮中では種々の香料を用いた香湯を使っていたが、鎌倉時代には五香水[注 2]・五色水[注 3]となり、江戸時代に甘茶となった[7]。釈迦を本仏としない日蓮正宗等を除く大多数の寺院で執り行われて参拝者にも甘茶がふるまわれ、甘茶で習字すれば上達するとの願掛け[6]や害虫除けのまじないを作る[8]などする。扱いを誤り使用不能に陥る状況を「お釈迦」とする表現は、炙り過ぎで鈍った金物を「火が強かった=しがつよかった」、「四月八日だ=しがつようかだ」、「釈迦の誕生日=しゃかのたんじょうび」と江戸言葉で訛らせた江戸鍛冶職人の隠語[9]とも巷間される。

朝鮮では、旧暦4月8日に明かりを灯して仏に福を祈る燃灯会を行う[10]
花まつり

明治時代グレゴリオ暦導入後、4月8日は関東地方以西でが満開する時期である事から浄土真宗の僧侶安藤嶺丸が「花まつり」の呼称を提唱して以来、宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられている。

民間ではこの時期に農事や山野での活動時期を迎え、明治以前から春季到来を祝す飲食や遊興の行事や、東日本では農事を忌む休日、山の神を祀る祭礼、山開きが、西日本では花立て[注 4]、卯月年忌と称される墓参や施餓鬼が、卯月八日として4月8日に行われている。これら祖先神で農事神でもある山の神を祀る際、花が一種の依代として用いられることから、花で神や祖先を祀る民間習俗に仏教行事の灌仏会が習合して「花まつり」になった[11]とする解釈もある。

「花まつり」という言葉自体は、1916年に日比谷公園で安藤嶺丸らが釈迦の誕生日法要をそう称したのが起源とされ[注 5]、そこまで古いものではない。さらに、「まつり」という言葉も仏教行事ではあまり使われず、意外にもその起源はドイツにあるとされる。ドイツ惠光寺(ドイツ惠光日本文化センター)の書庫にある、財団法人国際仏教文化協会『ヨーロッパに広がるお念仏』という書籍によると、「1901年4月、当時ドイツに留学していた近角常観など18名[注 6]が、ベルリンのホテル四季館に集まって誕生仏を花で囲み、仏陀生誕を讃える『Blumen Fest[注 7]』を開催した。会には300人以上のドイツ人が参加して大いに盛り上がり、後にこのニュースが日本に伝えられ、灌仏会を日本でも『花まつり』と呼ぶようになった。」という記述がある。好評だったため翌年もベルリンで開催され、ストラスブルグサンフランシスコでも同様の企画が立てられたが、結局ベルリン以外では開催されなかった[12]。当時ドイツのストラスブルグにいた渡辺海旭が、1916年の花まつりの実行委員として大きな役割を果たしているところを見ると、これがベルリンの「Blumen Fest」の影響を受けていたことは間違いないとみられる[注 8]
稚児行列

寺院が経営する幼稚園保育園の園児には甘茶を頂く日として馴染まれ、稚児行列する以下の寺院や仏教系教育機関もある。濃い甘茶には中毒症状が報告されているため、特に乳幼児が飲む場合は、薄めに入れた甘茶を淹れるように留意する[7]
4月上旬 - 護国寺
東京都文京区在。
4月8日 - 龍光寺
群馬県富岡市在。
5月5日 - 永源寺
埼玉県坂戸市在、おいらん道中も列する。
5月5日 - 大光院
群馬県太田市在。
5月8日 - 光泉寺
群馬県草津町在、手古舞も列する。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 釈迦の生誕を天が祝福し、産湯として甘露の雨を降らせたという説もある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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