1953年、アサヒビールに入社[1][3]。営業畑、神戸支店長を経て1981年に取締役就任[3]。1982年から大阪支店長に[3]。1986年8月に常務に昇格し、営業本部長となる[3]。
1990年6月、副社長に就任[8]。同年9月からは営業本部長を解任され、人事・総務・財務などを担当することとなる[8]。 1992年9月1日付でアサヒビールの7代目社長に就任[9]。21年ぶりのアサヒビール生え抜きの代表取締役社長となった[4]。 1993年3月、ビールの鮮度を追求する「フレッシュマネジメント」を経営の最重要課題とすることを社長方針として社内に伝達[10]。樋口廣太郎前社長のフレッシュローテーション活動をさらに徹底させる形で「フレッシュマネジメント活動」を全社的に実施[11]。フレッシュマネジメント委員会を発足し、委員長に就任した[11]。また、フレッシュマネジメント活動を支える情報インフラの整備にも力をいれた[12]。 2013年5月13日、心不全のため死去[14]。83歳没。
社長として
栄典
韓国政府より修交勲章光化章を受章[13]。
2013年5月13日 正四位旭日重光章
死去
論文
CiNii収録論文 国立情報学研究所
脚注[脚注の使い方]
出典^ a b c d e f g h i j 永井隆「第3章 一人の人間ができることには限界がある」『ビール15年戦争 すべてはドライから始まった』(第1刷)日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2002年8月1日、114頁。ISBN 4-532-19139-4。
^ a b c “ ⇒言論ブログ 瀬戸雄三” (初出年不明). 2008年10月3日閲覧。
^ a b c d e f g h i 石山順也「終章 「攻めの経営」から「バランス経営」へ」『アサヒビールの奇跡 ここまで企業は変われる』(第5刷)講談社〈講談社+α文庫〉、2000年11月21日、330頁。