瀬戸大橋
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原理的には単純な工法[11]で国内外に先例はあったが、この規模の水中発破や海中コンクリートは、世界でもほとんど例のないものだった[8]。そのため、超音波信号や電磁誘導をトリガーとする水中発破、岩盤掘削面の平坦化、大型ケーソン位置決め、大型モルタルプラント船、大型移動式海上足場、大型クレーン船などに関わる新しい技術が開発された[12]南北備讃瀬戸大橋概略図。1?7は基礎の番号、Pは主塔、Aはアンカレイジを示す。

水中発破の実施にあたっては、魚への影響を調べる調査研究が行われ、距離500 mでピーク圧力2 kg/cm2[13]以下という条件で漁業関係者との合意を得た[11]。圧力波に最も弱いのはメバルで、アイナメが最も強かった[14]。建設中に行われた156回の水中発破の圧力は測定により1 kg/cm2以下であることが確認されている。また、7Aアンカレイジから430 mの距離にある石油精製プラントへの振動による影響を防ぐため、1秒間隔で12段に発破を分ける秒差段発起爆工法も開発された[8][11]
ケーブル架設

下津井瀬戸大橋のケーブルは5.37 mm径ワイヤ (素線) 552本のストランド44本で構成される[15]。スピニングとサグ調整を同時に行うAS(エアスピニング)工法を強風下でも行うため、低張力AS工法[16]を採用した。他の橋にはPWS(プレハブ平行線ストランド)工法が適用された[15]。工場での素線長さの管理精度を高めるため、磁気マーキング測長方式が開発された[12]。南備讃瀬戸大橋のケーブルは5.12mm径ワイヤ127本のストランド271本で構成される[15]
桁の架設桁架設中の南北備讃瀬戸大橋 (1986年4月)

桁の架設中には完成時と異なる応力が発生する。架設中はヒンジにより力を逃して全ての桁を架設した後に固定する工法はあったが、本州四国連絡橋では強風時の安定性に懸念があったため、無ヒンジ工法[12]が開発された。これは、架設中に油圧機構を用いてハンガーロープと桁に発生する応力の分布を調整する技術であり、大鳴門橋で最初に適用され、瀬戸大橋にも用いられた。また、荷重振幅400tの大型疲労試験機を製作し、試験結果にもとづいて溶接部の品質管理[17]が行われた。
塗装

塗装技術は、本州四国連絡橋公団の委託により土木学会により開発され、1977年(昭和52年)に「鋼橋塗装基準・同解説」として定められた[18]。工場塗装を基本とし、現地塗装を行う接合部などについては付着塩分の管理(塩化ナトリウム (NaCl) 換算100 mg/m2未満)を行った。

下地処理はブラスト処理後、アルキルシリケートを主成分とする樹脂に犠牲防食作用を持つ亜鉛末を混ぜた厚膜型無機ジンクリッチペイントを施した。下塗り、中塗りはエポキシ樹脂塗料、上塗りには長期暴露耐久性に優れるポリウレタン樹脂塗料が使用された。その後の技術進展に伴い、平成2年(1990年)の塗装基準改定で、上塗りは更に耐候性に優れるフッ素樹脂塗料に変更された。
沿革.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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出典検索?: "瀬戸大橋" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2018年7月)
直島諸島から瀬戸大橋エリア空撮
着工まで

1889年明治22年)5月23日 - 香川県議会議員の大久保ェ之丞讃岐鉄道開通式での祝辞で瀬戸大橋の架橋を提唱[19]

1955年昭和30年)5月11日 - 国鉄連絡船紫雲丸による紫雲丸事故。(修学旅行の小学生など死者168名)
紫雲丸事故後、香川県議会が「宇高連絡鉄道建設促進に関する意見書」を国に提出。

1956年昭和31年)- 連絡船初就航

1958年(昭和33年)

3月19日 - 香川県議会に高松・岡山間海底トンネル架設建設促進案の調査特別委員会を設置。

7月5日 - それまでの海底トンネル案に対し、香川県議会は瀬戸大橋架橋案を決定。香川・岡山間橋梁架設に関する意見書を提出。

10月16日 - 香川県が第1回瀬戸大橋架橋計画書を作成。政府・国会に陳情。


1959年(昭和34年)

4月 - 建設省が本四連絡橋各ルートの調査を開始。瀬戸大橋は「宇野高松ルート」(Bルート)、「玉野市日比・高松市下笠居ルート」(Cルート)、「児島坂出ルート」(Dルート)の3候補。

6月28日 - 建設省による初の瀬戸大橋予定海底の地質調査着手。

8月31日 - 瀬戸大橋架設推進委員会香川県協議会設立。

9月4日 - 東京大学教授平井敦が瀬戸大橋設計図を発表。

11月17日 - 東京永田町で香川県が政府機関への瀬戸大橋架設説明会を開催。


1960年(昭和35年)6月8日 - 第六管区海上保安本部が瀬戸大橋ルートの底質調査と潮流観測を開始。

1961年(昭和36年)

3月4日 - 瀬戸大橋の候補3ルート一本化について香川県・高松市・坂出市の三者会談が高松会館で開かれ、問題の解決を金子香川県知事及び大久保県議会議長に一任。

6月1日 - 衆議院において瀬戸大橋を「岡山県宇野附近ヨリ香川県高松ニ至ル鉄道」として鉄道敷設法別表追加を議決。同月16日、参議院議決。

6月19日 - 瀬戸大橋架橋の海底調査で建設省は坂出・児島間の地質調査を開始。東海サルベージの潜水母船海工丸(61トン)と潜水艇白鯨号を使用。

6月22日 - 香川県議会に瀬戸大橋架設促進特別委員会を設置。


1962年(昭和37年)

3月29日 - 鉄道建設審議会が瀬戸大橋(宇野付近・高松)の調査線格上げを承認。

6月10日 - 国際連合アーネルト・ワイズマン調査団一行が瀬戸大橋架橋ルートを視察し、本四連絡橋3ルートのうち瀬戸大橋ルートに優先性を与えるべきだと声明。

7月10日 - 建設省土木研究所が沙弥島南方で瀬戸大橋架橋工事のためのボーリング調査を開始。


1963年(昭和38年)

2月25日 - 香川県下の町村議会議長会の定期総会で、瀬戸大橋架設促進を特別決議。

6月5日 - 第7回四国地方開発審議会で産業計画会議が「本土四国連絡の基本方向に関する調査」について瀬戸大橋優先の調査結果を発表。


1964年(昭和39年)

4月6日 - 岡山・香川・鳥取・島根の4県知事会議で、瀬戸大橋の早期実現について政府・国会へ要望することを決定。

9月16日 - 東京で瀬戸大橋架設推進岡山・香川両県選出国会議員団を結成。


1965年(昭和40年)

8月15日 - 国連地域計画調査団が瀬戸大橋架設の最終報告を発表し、5ルートのうち岡山・香川の架橋の優位性を強調。


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