瀬戸内海
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大型鯨類が過去に関門海峡や豊後水道なども含めて[25]瀬戸内海に普遍的に回遊していたことを示唆させる記録は多数存在し[注釈 16]、たとえばエンゲルベルト・ケンペルも三田尻付近で多数のクジラを見たと手記に残していたり[24][33]、周防灘や伊予灘[注釈 17]や別府湾などはヒゲクジラ類にとって育児海域になっていたり、広島県三原市の二つの無人島からなる「鯨島」[注釈 18]はクジラの回遊によって名付けられたという説も存在する[24][33][34]。
前述の絶滅危惧種[注釈 19]はほぼ消え去ったが、たとえば他種のクジラならば現在でも迷入することがあり[注釈 20]、ザトウクジラなど個体数の回復が見られる種類が将来的に瀬戸内海への出現が増加(回遊が復活)する可能性がある[25]。現在でも土佐湾にてホエールウォッチングの対象となっているカツオクジラも、芸予諸島[37][38]や宇和海[39]などに短期間定着した例がある。
土佐湾や豊後水道で時折見られるハンドウイルカ、ミナミハンドウイルカ、オキゴンドウ等も稀に目撃されている[注釈 21]。源平合戦(治承・寿永の乱)の折、瀬戸内海を進むイルカの群れの進行方向を使って戦績の吉兆が占われたという逸話も残っている[32][41]。
1957年、明石海峡と播磨灘に夫婦のシャチが漁業との軋轢を考慮して駆除されるまで約2ヶ月間定着しており、雌が先に傷つけられた雄を庇う様な行動を見せたために雌の捕獲は中止されたともされている[42]。明治時代にも荘内半島で本種の可能性がある座礁記録が存在し、かつて瀬戸内海にもシャチが頻繁に進入していた可能性がある[42][34][43][44]。
ニホンアシカは20世紀初頭まで鳴門海峡[45]や大阪湾[46]や福山市や邑久町[47]の沿岸や豊後水道[48]などを含む瀬戸内海の各地に見られ[27]、ニホンカワウソも1975年まで棲息が確認されていた[49]。
アカウミガメやアオウミガメ[50]も激しく減少したが、現在も回遊は続いている。明石市の望海浜[51]などの産卵場が最も有名だが、戦前は瀬戸内海の各地にこのような産卵場が存在し、近年でも大阪府沿岸や淡路島などでも確認されている[52]。しかし、定期的な繁殖場として機能しているのは依然明石沿岸のみである。オサガメは2002年や2003年に発見されている[注釈 22][54][55][56]。
近年にも複数回確認されている大型魚類の例として、クロマグロ[57]、カジキ類[注釈 23]、大型のサメ類[注釈 24]、大型のエイ類[注釈 25]などがあり、とくにホシエイおよびナルトビエイ[64]は地球温暖化の影響からか、周防大島などを中心に瀬戸内海における生息数が増えているとされる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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