瀬戸内海
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現在の状況からは想像しがたいが、かつては海獣[注釈 13]、ウミガメ、サメなどの大型魚類が瀬戸内海にも豊富に生息しており、セミクジラ[22]やコククジラ[23][24]やナガスクジラ[注釈 14]、ニホンアシカ[27]、ニホンカワウソ、ウバザメやジンベイザメ、ホホジロザメ、マンタ、マンボウ、クロマグロ、バショウカジキなどの大型魚類[28][29]やオサガメなど、現在では絶滅危惧種や絶滅種となっている中・大型の生物も多く見られたとされる。狩猟と漁業による圧力[注釈 15]や、高度経済成長期に急速に拡大した護岸を含む沿岸開発と環境破壊、海洋汚染などを経て、これらの動物は瀬戸内海からは江戸時代から昭和時代初期にかけて激減または地域個体群の絶滅を迎えた。
大型鯨類が過去に関門海峡や豊後水道なども含めて[25]瀬戸内海に普遍的に回遊していたことを示唆させる記録は多数存在し[注釈 16]、たとえばエンゲルベルト・ケンペルも三田尻付近で多数のクジラを見たと手記に残していたり[24][33]、周防灘や伊予灘[注釈 17]や別府湾などはヒゲクジラ類にとって育児海域になっていたり、広島県三原市の二つの無人島からなる「鯨島」[注釈 18]はクジラの回遊によって名付けられたという説も存在する[24][33][34]。
前述の絶滅危惧種[注釈 19]はほぼ消え去ったが、たとえば他種のクジラならば現在でも迷入することがあり[注釈 20]、ザトウクジラなど個体数の回復が見られる種類が将来的に瀬戸内海への出現が増加(回遊が復活)する可能性がある[25]。現在でも土佐湾にてホエールウォッチングの対象となっているカツオクジラも、芸予諸島[37][38]や宇和海[39]などに短期間定着した例がある。
土佐湾や豊後水道で時折見られるハンドウイルカ、ミナミハンドウイルカ、オキゴンドウ等も稀に目撃されている[注釈 21]。源平合戦(治承・寿永の乱)の折、瀬戸内海を進むイルカの群れの進行方向を使って戦績の吉兆が占われたという逸話も残っている[32][41]。
1957年、明石海峡と播磨灘に夫婦のシャチが漁業との軋轢を考慮して駆除されるまで約2ヶ月間定着しており、雌が先に傷つけられた雄を庇う様な行動を見せたために雌の捕獲は中止されたともされている[42]。明治時代にも荘内半島で本種の可能性がある座礁記録が存在し、かつて瀬戸内海にもシャチが頻繁に進入していた可能性がある[42][34][43][44]。
ニホンアシカは20世紀初頭まで鳴門海峡[45]や大阪湾[46]や福山市や邑久町[47]の沿岸や豊後水道[48]などを含む瀬戸内海の各地に見られ[27]、ニホンカワウソも1975年まで棲息が確認されていた[49]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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