瀋陽市
[Wikipedia|▼Menu]
1903年には東清鉄道南満洲支線が完成してロシア帝国の勢力下に入り、日露戦争中の1905年奉天会戦の舞台となる。

1911年宣統3年)には承徳県が廃止され、県域は奉天府の直轄とされ、1912年民国元年)、辛亥革命により清朝が滅亡すると、1913年(民国2年)2月に奉天県と改称され、4月に承徳県と改称されたが、河北省に同名の承徳県が存在したことから5月には瀋陽県と改称された。
中華民国

その後は中華民国臨時政府を巡る混乱の中、1923年(民国12年)には奉天市が設置され奉天省の省会とされた。1929年(民国18年)にはそれぞれ瀋陽市、遼寧省と改称されている。その後は張作霖張学良を代表とする奉天軍閥の拠点となった。しかし鉄道駅を中心とする市街地の大半は南満洲鉄道の付属地とされ、日本が行政権や警察権を掌握していた。
満洲国時期

1931年満洲事変により関東軍に占領され日本の植民地となり、関東軍土肥原賢二を首班とする奉天市政府が成立した。同年10月15日、趙欣伯が奉天市市長に就任している。1937年康徳3年)3月26日、市政が公布され統治範囲が確定している。瀋陽県も当初奉天市に位置していたが、1944年(康徳11年)1月1日に分割され奉天市と撫順市に編入された奉天市と再度改称、1945年(民国34年)日本敗戦後、満洲国も日本の支持がなくなって崩壊した。それと共に奉天市政府も自然消滅した。
国共内戦時期

東北光複の後、中華民国政府は1947年に再びに瀋陽と改称し、直轄市とも指定したが、国共内戦の結果1948年11月2日には中国共産党の勢力圏に入った。
中華人民共和国

中華人民共和国が成立した1949年には中央直轄市に昇格、1954年に地級市に改編され遼寧省の省会として、1994年地級市から副省市に昇格して、現在に至る。中華人民共和国初期、以上の歴史原因より、未確認のままの残留邦人が多数住んでいた。2004年に、瀋陽故宮ならびに東陵(清太祖ヌルハチの墓廟)、北陵(清太宗ホンタイジの墓廟)などが「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」というかたちでユネスコ世界遺産に追加登録された。
気候

1月の平均気温は-10.9℃、7月の平均気温は24.7℃、年平均気温は8.5℃、年降水量は690.3mmである。

瀋陽の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)?4.8
(23.4)?0.9
(30.4)6.8
(44.2)16.5
(61.7)23.0
(73.4)27.2
(81)29.1
(84.4)28.4
(83.1)23.6
(74.5)15.7
(60.3)5.7
(42.3)?1.9
(28.6)14.0
(57.2)
平均最低気温 °C (°F)?16.1
(3)?12.2
(10)?3.8
(25.2)4.2
(39.6)11.2
(52.2)17.0
(62.6)20.6
(69.1)19.3
(66.7)12.1
(53.8)4.2
(39.6)?4.2
(24.4)?12.1
(10.2)3.5
(38.3)
降水量 mm (inch)6.0
(0.236)7.0
(0.276)17.9
(0.705)39.4
(1.551)53.8
(2.118)92.0
(3.622)165.5
(6.516)161.8
(6.37)74.7
(2.941)43.3
(1.705)19.2
(0.756)9.8
(0.386)690.3
(27.177)
湿度60555352556778787165636163
平均月間日照時間162.5179.3221.8236.3256.0238.6206.8218.8228.4212.3161.0146.22,468
出典:[5] 2009-09-19

中国地名の変遷
建置1664年
使用状況瀋陽市
五代瀋州(遼)
北宋/瀋州
南宋/瀋州
瀋州
瀋陽路
瀋陽中衛
盛京
承徳県(1664年)
中華民国奉天県(1913年)
承徳県(1913年)
瀋陽県(1913年)
奉天市(1923年)
瀋陽市(1929年)
満洲国奉天市
現代瀋陽市

行政区画

瀋陽市は地級市(地区クラスの市)として10市轄区・1県級市・2県を管轄する。

市轄区:

渾南区和平区瀋河区皇姑区大東区于洪区鉄西区蘇家屯区瀋北新区遼中区


県級市:

新民市


県:

康平県法庫県

瀋陽市の地図
1234西蘇家屯区渾南区瀋北新区于洪区遼中区康平県法庫県新民市1. 和平区2. 瀋河区3. 大東区4. 皇姑区

年表

この節の出典[6][7][8]
瀋陽市

1949年10月1日 -
中華人民共和国瀋陽市が発足。瀋河区大東区・北関区・北市区・南市区・鉄西区皇姑区和平区蘇家屯区・新城子区・深井子区・馬三家子区・陳相屯区・官立堡区・白塔舗区・蒲河区・財落堡区・旧站区・祝家屯区・沙嶺堡区を設置。(20区)

1950年2月 - 遼西省鉄嶺県の一部が財落堡区に編入。(20区)

1951年12月1日 (12区)

蘇家屯区・陳相屯区・官立堡区・白塔舗区が合併し、蘇家屯中心区が発足。

新城子区・蒲河区・財落堡区が合併し、新城子中心区が発足。

深井子区・旧站区・祝家屯区が合併し、深井子中心区が発足。

馬三家子区・沙嶺堡区が合併し、馬三家子中心区が発足。


1952年8月1日 (28区1鎮)

蘇家屯中心区を分割し、王綱堡区・十里河区・官立堡区・姚千戸区・陳相屯区・白塔舗区・蘇家屯鎮が発足。

新城子中心区を分割し、新城子区・清水台区・蒲河区・財落堡区・尹家屯区・望浜区が発足。

深井子中心区を分割し、深井子区・旧站区・祝家屯区・古城子区が発足。

馬三家子中心区を分割し、馬三家子区・沙嶺堡区・平羅堡区・潘建台区が発足。


1953年2月17日 (10区)

蘇家屯鎮が区制施行し、蘇家屯区となる。

王綱堡区・十里河区・官立堡区・姚千戸区・陳相屯区・白塔舗区・新城子区・清水台区・蒲河区・財落堡区・尹家屯区・望浜区・深井子区・旧站区・祝家屯区・古城子区・馬三家子区・沙嶺堡区・平羅堡区・潘建台区が合併し、市郊区が発足。


1954年3月16日 - 市郊区を分割し、東郊区・西郊区・南郊区・北郊区が発足。(13区)

1954年6月19日 - 遼寧省に編入され、遼寧省瀋陽市となる。

遼寧省瀋陽市瀋陽市街地(崇山中路)

1955年3月13日 - 蘇家屯区が南郊区に編入。(12区)

1956年5月23日 (12区1県)

東郊区の一部が撫順市望花区に編入。

東郊区・南郊区・西郊区・北郊区の各一部が撫順市撫南区の一部と合併し、瀋陽県が発足。


1956年6月22日 - 瀋陽県が遼陽専区に編入。(12区)

1956年8月4日 (9区)

東郊区が遼陽専区瀋陽県に編入。

北郊区が大東区に編入。

西郊区・南郊区が合併し、蘇家屯区が発足。


1958年12月20日 - 鉄嶺専区鉄嶺県法庫県康平県開原県昌図県西豊県、遼陽専区瀋陽県遼中県新民県台安県を編入。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:91 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef