はまぐち りゅうすけ
濱口 竜介
2018年
生年月日 (1978-12-16) 1978年12月16日(45歳)
出生地 日本・神奈川県川崎市
職業映画監督・脚本家
ジャンル映画
著名な家族濱口達男(父)
主な作品
監督・脚本.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
『ハッピーアワー』
『寝ても覚めても』
『偶然と想像』
『ドライブ・マイ・カー』
脚本
『スパイの妻〈劇場版〉』
受賞
アカデミー賞
国際長編映画賞
2021年『ドライブ・マイ・カー』
カンヌ国際映画祭
脚本賞
2021年『ドライブ・マイ・カー』
国際映画批評家連盟賞
2021年『ドライブ・マイ・カー』
エキュメニカル審査員賞
2021年『ドライブ・マイ・カー』
ヴェネツィア国際映画祭
銀獅子賞(審査員大賞)
2023年『悪は存在しない』
国際映画批評家連盟賞
2023年『悪は存在しない』
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(審査員グランプリ)
2021年『偶然と想像』
全米映画批評家協会賞
監督賞
2021年『ドライブ・マイ・カー』『偶然と想像』
脚本賞
2021年『ドライブ・マイ・カー』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
脚本賞
2021年『ドライブ・マイ・カー』
放送映画批評家協会賞
外国語映画賞
2021年
濱口 竜介(はまぐち りゅうすけ、1978年12月16日 - )は、日本の映画監督・脚本家。早くから独特の演出手法が注目されていたが[1][2]、『ドライブ・マイ・カー』(2021年)や『悪は存在しない』(2023年)などの作品が国際的に高い評価を受け、日本人では黒澤明以来はじめて米アカデミー賞と世界三大映画祭のすべてで受賞を果たした映画監督となった[3]。 1978年12月16日、神奈川県川崎市に生まれる[4][5]。父は建設官僚で国土技術政策総合研究所所長などを務めた濱口達男[6][7][8]。祖父は洋画家の浜口喬夫[6]。祖父・喬夫の叔母・寛子は寺田寅彦の二番目の妻にあたる[6][9][10][注 1]。 父親の仕事の関係で幼少期は転校が多く、3歳から5歳までイランで過ごしている[11][12]。千葉県立東葛飾高等学校を経て東京大学文科三類に入学した当初は映画への関心はなく、当時総長を務めていた蓮實重彦が映画批評の分野で重きをなしたことも全く知らなかったという[12]。しかし、映画研究会に所属すると急速に映画に傾倒し、文学部では美学芸術学研究室に進学[12]。この頃から8ミリフィルムで自主製作映画を撮り始めている[13]。 大学卒業後、映画の助監督やテレビ番組のアシスタントディレクターなどを経たのち、映画監督を養成するコースとして新設されていた東京藝術大学大学院の修士課程に入学[14][15]。在学中は教授として教鞭を執っていた黒沢清に師事していた。2008年に修了作品として監督した『PASSION』が[16]、サン・セバスティアン国際映画祭や第9回東京フィルメックスのコンペティション部門に選出されるなど、学生作品としては異例の注目を集めた[17]。 2011年に東日本大震災が発生したのち、仙台市のせんだいメディアテークが、市民の手によって震災の記録映像をアーカイブする「3がつ11にちをわすれないためにセンター」を発足させる。この立ち上げをサポートした東京藝術大学は濱口を現地へ派遣。濱口は同年5月から現地に滞在し、酒井耕との共同監督で、津波と震災の体験を語る地元住民たちのインタビューを大量に撮影しつづけた。この成果がドキュメンタリー作品「東北記録映画三部作」に結実する[18]。 このときの体験を、濱口は「こんなふうにカメラの前で生き生きとしゃべってくれるひとをはじめて撮ったという実感を持った。
経歴
学生時代
東日本大震災での活動