潘恵子
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内海・野村道子夫妻に誘われたことを機に、テレビ映画への出演や声優業も行うようになる[13]

当時は舞台と声優の演技は全然違うという風潮があったが、潘は全く苦にしなかったという[14]
声優として

所属は青二プロダクション[15]81プロデュース[16]ネヴァーランド・アーツを経て、現在はジャストプロ所属[7]

1977年、『サザエさん』でアニメ声優としてデビュー[6][9]。同年には、『超人戦隊バラタック』のユリ役で初レギュラーを獲得した[17]。また同年、日本アニメーション製作の『女王陛下のプティアンジェ』(アンジェ役)で初主演した後、『機動戦士ガンダム』(ララァ・スン役)や、1980年代には『世界名作劇場』シリーズに出演する[17]

『機動戦士ガンダム』出演当時、ニューヨークで1週間の滞在期間中にブロードウェイの舞台を8本観劇。その内容にショックを受け、自分の芝居に「もう無理!」と感じたといい、自分に何ができるか考えてた結果、声の仕事に専念するようになった[13]。内海賢二と来宮良子を、育ての親と呼んでいる[18]

元祖アイドル声優[18]として、歌手としても活動、主題歌を担当した作品もある。また、クイズ番組テレビドラマなどにも出演していたこともある。1980年代前半には、女性声優の人気投票で度々1位を獲得していた。
特色・人物

声種は「あどけない弾むメゾソプラノ[19]」。

私生活では、一度目の結婚の後に一人娘のめぐみを出産離婚。後に再婚している。

古谷徹とは共演が多く、古谷の口から「たくさんの作品で相手役を含めやらせていただいた」と語られている[20]
エピソード

『セーラームーン』第1作では、正義側のルナと悪役のクイン・ベリルの両方を演じていたが、連続して登場する際にとっさの切り替えが難しかったと語っている。直前に登場した役の声のまま、もう片方の役を演じてしまい、NGになったことも多いという(『セーラームーン』LD収録のインタビューにて)。当時の事を振り返り「失敗しても悔やんでいられない。でも凄く前向きな性格になれた」と語る[18]。天王はるか役の緒方恵美とは初の共演であり、その演技力には「後輩と呼びにくい」「鳥肌が立った」と評している[21]
サザエさん

サザエさん』では、1977年に主婦役で出演しアニメデビュー作となる。初めてのセリフは「大根、おいくらですか?」だった[22]

1978年からは、サザエさん一家の隣人である浜みつ子役を担当。1985年にみつ子が引っ越しという形で作品に登場しなくなってからは、新たに隣人となった伊佐坂ウキエ役を担当し、めぐみを出産する1989年に降板するまで約11年間レギュラー出演した[21]

なお、出演は初めから決まっていたわけではなく、最初は事務所の先輩でワカメ役の野村道子に頼み込む形で、勉強のため収録スタジオを見学するだけだった[21][9]。見学を快諾したディレクターの岡本知は、当時の潘が新人であることから、厳しい現場を目の当たりにして二、三回の見学で諦めると思っていたという[9]。だが、潘はその後も約半年にわたり休むことなくスタジオを訪れたといい、いつも副調整室の片隅で出演者をつぶさに見る姿に感銘を受けた岡本が関係者に「あの子にそろそろ何か役をつけてあげよう」と提案したことで出演が決まったという[9]
世界名作劇場

世界名作劇場』シリーズでは、1980年の『トム・ソーヤーの冒険』(ベッキー役)が初出演となる。『トム・ソーヤー』のベッキー役を、「自分に似て不器用なところがあり、今でもとても思い入れのあるキャラクター」と語る[15]

この『トム・ソーヤー』で、服部克久から「歌ってみて」と言われて挿入歌『恋するベッキー』を歌ったが、それがそのままシングルとなった。その際、ポニー・キャニオンから当時所属していた青二プロダクションへ「歌手にならないか?」と誘われ、翌1981年の『家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ』では、声優としての出演はなかったものの、歌手として主題歌・ED曲を担うことになり、歌手活動を開始。

1983年には、『アルプス物語 わたしのアンネット』(アンネット役)で単独主演を果たし、主題歌・EDも担当。1986年から1988年にかけては、『愛少女ポリアンナ物語』(ナンシー役)、『愛の若草物語』(メグ役)、『小公子セディ』(ハートル役)と3年連続シリーズに出演している。このうち、『愛の若草物語』では主人公姉妹の1人を演じ、他の姉妹役声優3人と共に、キャラクターとして2代目主題歌(元々は挿入歌として作られたもの)も歌った。

このように、声優業・歌手業の双方で深い繋がりを持ったが、特に複数での担当を含めた主題歌担当歴3回は、4度の大杉久美子に次いで2番目の多さとなる。これらからシリーズの話題の際には、山田栄子堀江美都子中西妙子吉田理保子らと共に、「名劇を代表する声優の1人」として名が挙がることが多い。

現在では、『世界名作劇場』のようなシリーズが放送されなくなってしまったことを「寂しい」と語り、「主題歌でもたびたびかかわってきたシリーズだったので思いいれもひときわあった」と語っている[15]
ララァ・スン

『機動戦士ガンダム』のララァ・スン役は、「重要な存在」「自身にとって大きな存在」と語り[23]「ララァ以外の役だったらどの役をやりたい」との質問には、「やはりララァがいい」と答えている[23][24]

「『ガンダム』は“舞台”だと思ってやっていた」と回想しており[18]、ララァの役作りは、イセリナ役の後に期間を置いてから呼ばれ「左遷されたシャアの連れてきた女ということで、シャアのことだけは知っておけばいいという感覚だった」と語る。オーディションのとき、「想像力が豊かで人の心が読めるキャラ」といわれてララァをやることになったが、突然ニュータイプ云々となり「解釈がムズカシクテたまらなかった」と当時のインタビューで述べている[25]。人物設定のバックボーンがなく、潘自身がララァの額の赤い印(ビンディ)から「インドの難民でルーレットのアテ師になろう」 と考えて演じていたとのこと。これを安彦良和に話したところ、後に『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』内でその設定が反映されて描かれている[24]

CafeSta 馳ミュージアム(2014年11月17日配信分)にて当時のアフレコによる手当が1回5,000円と公表した。

機動戦士ガンダムの公式パロディアニメ『ガンダムさん』では、娘のめぐみがララァ・スンを演じ、親子二世代で同じキャラクターを演じている。なお、潘自身もナレーションの一人で出演し、親子共演作ともなっている。

GACKTのファンであり、シャア・アズナブル役の池田秀一がGACKTと直接の知り合いであると知った際、池田に「会わせてほしい」とねだった。だが、池田が難色を示したため「あの時助けてあげたのに!」とララァがシャアを庇って落命したことを持ち出し、結果、池田は渋々GACKTに電話をしたという[26][23]


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